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【話題の万葉集-2】男性歌人の恋の詩をイマドキ女子目線で初心者にもわかりやすく紹介。

 2019/06/27 恋愛
 
万葉集2イメージ1

皆様こんにちは!
前回の万葉集の記事を書いて以来
すっかり万葉集にハマってしまった紙山です。
そんな訳で今回も
万葉集の恋の歌・第二弾をご紹介いたします!

前回ご紹介した女性歌人たちも登場しつつ
今回のメインは男性歌人。

万葉時代の男性達がどんな恋をしたのか
ご紹介しちゃいます。

▽前回の万葉集紹介【女性歌人編】▽

【話題の万葉集】おすすめの歌を女子目線で初心者にもわかりやすく紹介。

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知っているとより楽しめる
万葉集の時代背景

今からおよそ1300年程前。

万葉集が生まれたこの時代は
現代とは生活様式や価値観
かなり異なっていました。

もちろん恋愛事情だって
今の恋愛から考えたら
「そんなの嘘でしょ…」
と思う事が結構あると思います。

ですから万葉集の歌を読んでいて
「ん?」
と思う場面もかなりあるはず。

現代とは全く異なる価値観も、
当時の時代背景や文化を知っていれば、納得
しながらより深く楽しめちゃいます。

なぜ和歌を詠んでいたの?

万葉集2イメージ1

万葉集の時代に限らず
古典文学に登場する方々って
息をするように和歌を読んでいますよね。

恋人との逢瀬のときにも和歌。
振られてしまっても和歌。
嬉しいときも悲しいときも和歌。

和歌がなければ
自分の気持ちを伝えられないのかと
やきもきするくらいに和歌で溢れています。

古い万葉集よりもっと古くから、
和歌の文化は始まっていた

万葉集が編纂されるようになった時代以前から
当時の大国から受けた漢詩の影響で
個人の気持ちを歌にする文化が生まれました。

すでに万葉集の時代には
和歌の形式がかなり洗練されたものとなっていた
ことを考えると、飛鳥時代以前から
自分の気持ちを歌にして贈りあう文化が
根付いていたのだと思われます。

使い慣れた言葉で想いを綴る!

ところで漢詩が公的な性格が強かったのに対し
和歌は私的な性格が強かったようです。

現代で言えば
公用語として英語を使うけれども
プライベートでは母国語を使う
みたいな感じでしょうか?

確かに自分の気持ちを繊細に表現するなら
使い慣れた言葉のほうが良いですよね。

そんな訳で
プライベート中のプライベートである恋愛において
思いのたけを綴る時には
和歌が多く用いられたのだと思われます。

当時の恋愛事情

 

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現代と万葉集の時代を比較しますと
かなり恋愛事情が違っています。
特に貴族の恋愛
結構まどろっこしい場面が多かったり。

まず、恋人でもない男女は基本的に
直接対面することが出来ません。

この時点で「え?」と思いますよね。
じゃあどうやって恋人同士になるのかと。

当時の恋愛のスタンダードな形は…

  1. 妙齢となった男性
    周囲(家族や親戚)からの評判や
    貴族同士での噂話などから人となりを推測
    見初めた女性側に恋文(和歌)を送ることから
    交流がスタートします。
  2. もちろん女性側色々な情報を駆使して判断
    嫌だと思えば断ります。
    和歌を贈れば即交際成立なんて事は
    基本的にありません。
  3. 何回か歌のやり取りをして
    両者が合意をしたら
    ようやく男性が女性の家に招かれます。

ええい、まどろっこしい!

万葉集2イメージ2

その後の交際を経て
(家に招かれたからといって
即座に夫婦にはなれません)
ようやく結ばれ、一夜を共にしても
朝になれば男性は
女性の家を出て自宅に戻ってしまいます。

そう、夫婦となっても自宅は別
高貴な身分の女性は生まれた家を離れません。
子どもが出来た場合でも
基本的に女性側が養育をします。

このような形で恋愛が進みますから
恋愛における心変わりの苦しみ
はれて夫婦になった後でも付きまとう事に。
その物悲しさもまた和歌の題材となるのですが…

結婚してからも自由恋愛?

 

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男女が同居せず婚姻を結ぶ結婚制度は
妻問い婚と呼ばれていました。

この婚姻制度は一夫多妻制
男性が心移りをしたら
女性の元へ通わなくなってしまったというのも
日常茶飯事です。

だからこそ万葉集に始まる
日本の文学には
男性の心変わりに苦しむ女性の歌
沢山登場します。

ですが、男性が結婚してからも
あちらこちらの女性を渡り歩くというのは
眉をひそめる行動であった場合もありました。

万葉集2イメージ3

というのも当時の婚姻では
妻の形にも「家婦」と「妾」という
二種類の区分があったのです。

このうちの「家婦」と呼ばれるほうが
社会的に正妻を意味しています。

ちなみに「妾」には
現代のようなニュアンスは一切ありません。
家婦(正妻)じゃない妻」ぐらいの
意味だったのではないでしょうか。

ともあれ万葉集の時代においても、
正妻を迎え入れた男性が他の女性に手を出すのは
(少なくとも大っぴらにやってのけるのは)
あまり良くないことという認識も
当時あったことと思われます。

まあ、でないと
忍ぶ恋の歌があんなにも残されていませんよね。

また、夫側の浮気があまりにも過ぎた場合には
妻が家出をしてしまうなど(例:磐之媛)、
妻側は妻側で
他の女性に現を抜かす夫に苦しむだけじゃなく
怒りを露にする事もよくありました。

ですから、
万葉集の時代には、社会的にも心情的にも
結婚したからと言って
自由奔放な恋愛が許されていた…という訳では
なかったようです。

 

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万葉集には数々の浮名を流した方も
結構いらっしゃいましたが
そこはその人個人のメンタルの強さです。

恋に悩んだ男性歌人たち

恋に悩むのは女性だけの専売特許ではありません。
男性達も届かぬ恋に涙したり
叶った恋に喜びの声を上げたり
感情豊かに自分の気持ちを詠んでいます。

見ていてこちらが恥ずかしくなりそうな程
大胆に愛を歌ったものも。
イタリア人並みです。

ちなみに、現在のように
恋愛に関して寡黙で愛情表現が苦手という
ステレオタイプな大和男児像は、
室町時代以降の武家社会に端を発したもの。

古代日本の男性達は
かなり豊かに愛を語っていた様子です。

忍ぶ恋と苦い結末 穂積皇子

 

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家にありし 櫃に鍵刺し蔵(をさ)めてし
恋の奴(やつこ)の つかみかかりて
【現代訳】
家の櫃に鍵をかけてしまっておいた
恋の奴がまたつかみかかってきて

この歌を詠んだのは天武天皇の第五子
穂積親王(ほづみしんのう)でした。
穂積親王は後年の宴席で
お酒が入ると好んでこの歌を詠み
その度に賞賛されたと言われています。

お家の櫃(ひつ:大きな収納用の箱)に
鍵を掛けてしまっておいても
うっかり飛び出してきてしまう穂積親王の恋とは
一体どのようなものだったのでしょう。

穂積親王がまだ若き皇子だった時代
但馬皇女(たじまのひめみこ)という女性が
皇子に贈った歌が万葉集に残されています。

 

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秋の田の 穂向きに寄れるかた寄りに
君に寄りなな言痛(こちた)くとも
【現代語訳】
秋の田の稲穂が風になびき片寄るように
心をなびかせて君によりたい。
人々にどんなに悪く噂されようとも

この頃
但馬皇女は高市皇子(天武天皇の長男)の宮で
暮らしていたと言われています。
穂積皇子にとって高市皇子は異母兄です。

この歌には
「言痛くとも(人々にどんなに悪く噂されようとも)」
とありますが
一説に寄れば高市皇子と但馬皇女は
夫婦であったといわれています。

穂積皇子に宛てたこの歌は
人々に歓迎されない恋だったのかもしれません。

但馬皇女が穂積皇子に宛てた歌は
万葉集に三首掲載されていますが
そのどれもが忍ぶ恋を連想させるものでした。
一方万葉集で穂積皇子が但馬皇女に詠んだものは

 

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降る雪は あはにな降りそ吉隠(よばなり)の
猪養(ゐかひ)の岡の 寒からまくに
【現代語訳】
降る雪はどんなに積もらないでくれ
吉隠の猪養の岡に眠っている
但馬皇女が寒いだろうから

この一首だけでした。
しんしんと降り積もる雪の物悲しさが
穂積皇子の切ない愛情を表しています。

そして、皇子が但馬皇女に
生きているうちに贈った歌が一首も残っていない
という点にも悲恋の余韻がありますね。

ところで穂積親王は
後年に13歳の大伴坂上郎女と結婚します。
この時穂積親王は30代後半から40代前半。

今なら即通報ものの年の差婚ですが
当時としてはアリだったようです。
加えて坂上郎女は穂積親王から
大層な寵愛を受けたのだそう。

ちなみになのですが
但馬皇女と高市皇子の年齢も
15ほど離れていたという事です。
穂積親王がこの老いらくの恋に
結ばれなかった女性の面影を見ていたなら
ちょっとロマンチックじゃありませんか?
(お馴染みの筆者の妄想タイムです)

しかし坂上郎女と言えば
数々の男性を虜にする歌を詠んだ才女。
きっかけはどうであっても
穂積親王をそのあふれる気品と才能
メロメロにしてしまったのでしょうか。

櫃の中から穂積親王に掴みかかった恋は
昔の恋か今の恋か
知るのは当人のみとは言え
色んな想像(妄想)が出来て面白いですよね。

稀代の色男と最愛の妻 大伴家持

大伴家持(おおとものやかもち)と言えば
万葉集の編纂の中心となった人物です。
和歌の才溢れるイケメン(推測)なだけでなく
官吏としても有能で出世の一途を辿っており
当時のお嬢様方の心を鷲づかみにした
文字通りの貴公子です。
少女漫画か。

しかしこの方も
若かりし頃には何とも真っ直ぐな
それでいてちょっと早熟な
少年の恋心を歌っていました。

 
振仰(ふりさ)けて 若月(みかづき)見れば
一目見し 人の眉引 念(おも)ほゆるかも
【現代語訳】
夜空を振り仰いで三日月を見ると
一度逢っただけのあの人の美しい眉が
心に浮かぶ。

眉引とは、墨で書いた眉のこと。
当時の眉は
唐風に三日月の形をするのが流行だったそうです。

一目惚れした女性の眉を
見上げた夜空の三日月になぞらえて歌にする。
なんとも初々しく率直な歌です。

男女が直接対面出来る時代でなかった当時
家持はこの女性とどこで逢ったのでしょう。
もしや女性の住まいを
ちらっと盗み見でもしたのかと思うと
早熟な男子という感じです。

この時家持は16歳。
彼が三日月夜に思い描いた女性は
大伴坂上大嬢(さかのうえのおおいらつめ)である
と言われています。

対する大嬢は13歳よりも若かったと思われ
結婚できる年齢ではありませんでした。
更に言えば大嬢のお母さんは
家持の和歌の先生でもある坂上郎女。

この鉄壁の守りに若き家持は成すすべなく
淡い恋心は置き去りに他の女性と結婚をします。

結婚生活は五年前後と大変短い間で
家持が22歳の頃に最初の妻が亡くなります。
妾(おみなめ)と呼ばれたその女性の死に
家持はいくつもの歌を残しています。

 

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秋さらば 見つつ偲へと 妹が植ゑし
やどのなでしこ 咲きにけるかも
【現代語訳】
秋になったら、この花を見て
私を懐かしく思ってくださいねと言った
愛しいあの人が植えた庭の撫子の花が
もう咲き出したよ
 
今よりは 秋風寒く吹きなむを
如何でか独り 長き夜を寝む
【現代語訳】
今からは秋風が寒く吹くだろうに
どのようにして独り長い夜を寝ればいいのか
 
うつせみの 世は常なしと知るものを
秋風寒み 偲ひつるかも
【現代語訳】
現実の世は常なきものと知りながらも
秋風が寒く感じられるようになると
妻のことが思い出されることよ

歌からは
妻を亡くした寂しさや孤独感が見て取れますが
そこまでの悲壮感がないような気がするのは
筆者の視点が歪んでいるからでしょうか…

というのも、この歌を詠んだ二ヵ月後には
坂上郎女、大嬢との
歌の贈答がなされているからです。
ちょっと立ち直り早すぎませんか。

何はともあれ初恋の女性と会うようになり
歌も交わす仲となった翌年。
家持は大嬢を正妻として迎えます。
その切り替えの早さについて
いささか違和感もなくはないですが
とにかく初恋の大嬢と心を通わせた家持は
かなり熱のこもった歌を大嬢に贈ります。

 
本文撫子が その花にもが朝な朝な
手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ
【現代語訳】
あなたが撫子の花であったらいいのに。
毎朝毎朝、手にとっては愛でて
いとおしまない日などないだろう。
 
我が屋戸の 時じき藤のめづらしく
今も見てしか 妹が笑まひを
【現代語訳】
庭に咲いた季節はずれの藤のように
稀にしか逢えないわが君よ
今すぐ逢って花を愛でるように
あなたの笑顔をずっと眺めていたい。

ちょっと見ただけでも
中々に熱烈ではありませんか。
女性を花にたとえて「愛したい」などと
ちょっとエロティックな情景も垣間見えつつ
上品で丁寧な歌。

現代の男性でこんな手紙をくれる方は
ついぞ見かけませんが
これが古代の日本人なのです。
(※個人差があります)

稀代のプレイボーイ大伴家持ですが
坂上大嬢は「家婦」であり立派な正妻でした。
最愛の妻を得たのだから、少しは落ち着けば
いいのに…と思います。
きっと大嬢もそのような気持ちだったはず。

なのに何故か他の女性の所にも通うあたり、
家持はそういう性格の方だったのだと
思うほかありません。

何せ歌の師匠が坂上郎女(恋多き女性)です。

見方を変えれば
多くの女性を愛したからこそ
様々な名歌が生まれたのだと思いますし
女好きもあながち悪いものでもない
…のかも知れません。

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最果ての地で叫ぶ歌 柿本人麻呂

 

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柿本人麻呂歌聖と称された和歌の名手
万葉集では、最多の長歌19首短歌75首
掲載されています。

相聞歌だけでも数が多く
全部は取り上げることが出来ませんが
今回は中でも特に有名な相聞歌
石見相聞歌」をご紹介します。

 

石見の海 角の浦みを
浦なしと 人こそ見らめ
潟なしと 人こそ見らめ
よしゑやし 浦はなくとも
よしゑやし 潟はなくとも
鯨魚(いきな)とり 海辺をさして
和多豆(にきたづ)の 荒磯(ありそ)の上に
か青く生ふる 玉藻沖つ藻
朝はふる 風こそ寄せめ
夕はふる 波こそ気寄れ
波のむた か寄りかく寄り
玉藻なす 寄り寝し妹を
露霜の 置きてし来れば
この道の 八十隈ごとに
よろづたび かへりみすれど
いや遠に 里は離(さか)りぬ
いや高に 山も越え来ぬ
夏草の 思ひしなえて
しのふらむ 妹が門見む
靡けこの山

【現代語訳】
石見の海の角の浦の辺りを
大した浦がないと人は見るであろうが
よい潟はないと人は見るだろうけれど
ままよ、よい浦がなくとも
ままよ、よい潟がなくとも
海辺に向かって
和多豆の荒磯の上に
青々と生えている美しい海藻や沖の海藻は
朝には風が靡き寄せるであろう
夕べには波が寄せてくるが
その波とともにあちらへ寄りこちらへ寄る
美しい海藻のごとく
私に身を靡かせて共寝した妻を
後に置いてきたので
いま辿る道中の山道の曲がり角ごとに
何べんも繰り返し振り返ってみるのだけど
いよいよ遠くもと来た道は遠ざかり
いよいよ高々と山も越えてやってきてしまった
物思いにしおれるようにして
今頃私のことを慕っているだろう妻の
家の門口を眺めたい。
靡き伏してしまえ、目の前に立ちはだかる山よ

何とも叙情的で
ドラマチックな愛の歌です。

前半に書き連ねた石見の情景
「寄り寝し妹を
露霜の 置きてし来れば」
という部分をターニングポイントにして、
置いてきた愛しい妻との思い出を
切なく思い出す男性の旅路へと場面転換する
映画的な文章構成。

また最後の「靡けこの山」という短く強い語調に
激しい哀切の感情があります。

現代と違う単身赴任

人麻呂のいた時代は
中央集権体制が整いつつありました。
役人であった彼は都から
地方の至る所に赴任しています。

中でも晩年に赴任した石見国
(現在の島根県石見地方)は、大和国家において
最果ての地と呼べるような地域でした。

地方官は現地で結婚することが多かったのですが
任期を経ると都に帰らなくてはなりません。
その別れは現代とは違い永遠の別離の意味します。
そんな地方官と妻の別離を歌ったのが
石見相聞歌なのです。

 

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ところで柿本人麻呂は
石見国で死没したとされています。
「あれ…?じゃあ都に戻ってなくない?」
と思った方、するどいです。
実はこの石見相聞歌
人麻呂の創作だとする見方が通説です。

柿本人麻呂は自分の心の内を詠む歌の他に
当時の時勢や風説なども歌にしており
現代で言う作家のような歌人でした。

ですから、他の有名な幾つかの相聞歌も
柿本人麻呂が見聞き(または創作)した恋物語
巧みな才で歌にしたもの、と見られています。
道理でこんなに
数多くの歌が残されているわけです。

とはいえ現代であっても
フィクション・ノンフィクション問わず
優れた作品は読み手の心を動かすもの。
今なお多くの人を感動させる人麻呂の作品。
他の歌も読んでみたくなりませんか?

時代に翻弄された農民たち 防人たちの歌

 

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万葉集に収録されている歌には貴族だけでなく
農民達の歌も数多く収録されています。

その中でも東国(現在の関東地方)から徴兵され
九州地方の防備を担わされることとなった
防人(さきもり)と呼ばれる人々の
歌が収録されている事は
万葉集の大きな特徴の一つとなっています。

戦争という時代の流れに飲み込まれた
農民達はどのような愛の歌を詠んだのでしょう。

 

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わが妻は いたく恋ひらし 飲む水に
影(かご)さへ見えて よに忘られず
【現代語訳】
わが妻はひどく恋い慕っているらしい
私が水を飲もうとするとその水に姿が映って
まったく忘れられないことよ

古代の人々は、相手が強く思っていると
こちら側に何らかの予兆が表れる
逆にこちらが強く思っていれば
相手に何らかのしるしが届くと信じていました。

この歌も、自分を恋い慕う妻のまぼろし
飲み水の水面にみながら
自分もまた妻を思っているのだと詠んでいます。

また、妻との別れの歌にはこんなものもあります。

 

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道の辺の 荊(うまら)の末(うれ)にはほ豆の
からまる君を 離れか行かむ
【現代語訳】
道端の荊(ノイバラ)の先に絡みつく豆のように
私に絡みついてきた君をおいて別れてゆく

防人の旅過酷なものでした。
行きは引率の者が同行しても
任期を終え帰郷する際には同行者もなく
道中で倒れて亡くなる方も大勢いました。

そのような死地に夫を送る妻もまた
大変な悲しみをたたえており
この作者の妻も
いかせるものかと夫にしがみついたのでしょう。

作者はその腕を振り払って西へと向かう道すがら
見かけた何の変哲もないノイバラに
妻を切なく連想したのかもしれません。

 
吾等(わろ)旅は 旅と思へど 家にして
子持ちやすらむ わが妻(み)かなしも
【現代語訳】
自分の旅はこれが旅と思って諦めるけれど
家に残って子を持って痩せるだろう妻が
かわいそうである

置いてゆく妻の末まで案じ
優しくも物悲しい歌もありました。

防人として徴兵されれば
有無も言わさず男たちは旅立ちます。
そして残された家族もまた働き頭を失ったまま
重い税に苦しむ生活が始まります。

自分が死ぬかも知れないという旅なのに
家族の生活を心配するという作者の心境が
読んだ人の胸を打ちます。

万葉集には防人とその家族の歌
100首以上も掲載されています。
時代の流れに翻弄されるしかなかった農民達の歌は
多くが相手を思う愛にあふれた歌でした。

それだけに今も多くの人の心を揺さぶり
語り継がれているのでしょう。

万葉集2イメージ4

古代のサラリーマン川柳? 詠み人知らず

万葉集には
詠んだ人の名が分からない歌も収録されています。
東歌と呼ばれる
今の関東地方に暮らしていた
市井の人々が詠んだ歌が主だったものです。

そして東歌238首のうち
殆どが恋について歌ったもの!
当時の人々がのびのびと詠んだ恋の歌から
面白いものをいくつかピックアップしました。

 
人妻と あぜかそを言はむ しからばか
隣の衣を 借りて着なはも
【現代語訳】
「人妻だから」(言い寄ってはいけない)などと
なんでそう言うのか
それならばお隣さんから
着物を借りて着たりはしないのかね

隣の奥さんから
着物を借りてくることもあるんだから
奥さんを貸してくれというのも同じだろう
という、随分身勝手な言い分の歌です。

きっとこれを詠んだ作者は
意中の女性に「人妻だから」と振られたのに
食い下がって言い寄った末の歌なのでしょうね。
メンタルが強い。

この時代、村落集団においても
他人の妻に手を出すことはタブーでした。
ですが、結構多いのです。
人妻関係の恋の歌。

タブーだからこそ
燃え上がるものがあるのでしょうか。
そこは現代も大差ないですけれど。

 

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誰そこの 屋の戸おそぶる新嘗(にふなみ)に
我が背をやりて 斎(いは)ふこの戸を
【現代語訳】
誰だろう この家の戸を揺らすのは
新嘗の祭り故に夫を外に送り出して
精進潔斎をして私(妻)が篭っている
この小屋の戸を

男性が詠んだ歌とはちょっと外れますが
こちらも人妻をテーマにした歌。

年に一度の新嘗祭(にいなめさい:収穫感謝祭)
の日の事です。
新米を神に捧げ、男性は村の祭りに、
女性は精進潔斎の為に小屋に篭るのですが
篭っている小屋の戸を揺する者が来たのです。

新嘗祭は神祭りの日ですから
戸が揺すられる音はもしや神様の来訪かと
この歌の女性は驚きます。

しかし後半
「我が背をやりて」という部分から
「人妻の私が」というニュアンスが盛り込まれ
何となく不穏な空気になってきます。

つまりこの歌で戸を揺すった誰かさんは
神の来訪に見せかけた、夫の留守を狙ってきた
他の男性。
何とまあ不謹慎と言うか。
いいんですかね?

さて、次は健全な男女の恋の歌をご紹介します。

 

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上つ毛野 安蘇の真麻(まき)むら 掻きいだき
寝れど飽かぬを あどか吾がせむ
【現代語訳】
麻の束を抱くようにお前の身体を
かき抱いて寝たがまだ飽きない
いったいおれはどうすればいいのか

何と大胆!
そしてラブラブ!
いいですね、こういう両思いの喜びを歌ったもの。
男性の情熱的な愛が前面に出ていて
ニヤニヤしてしまいます。

また、女性を抱きしめたときの例え
「麻の束」というのが
村民の生活の中にある歌という感じがして
セクシーな歌のはずなのに仄暗さがなく
牧歌的な雰囲気すらあります。

とても健全な恋の喜びの歌。
こういうの好きです。

最後に
ちょっと切なくユーモラスな片思いの歌を。

 
このごろの わが恋力 記し集め
功に申さば 五位の冠(かがふり)
【現代語訳】
このごろおれが恋に使い果たしている力を
記録して申請したならば
五位の位を貰って冠をかぶるだろうに

当時の役人の身分ランクのうち
五位より上の位が貴族という位置づけでした。
今で言えばキャリア組の国家公務員
といった所でしょうか?

三位以上となると
今度は上流貴族階級の身分になりますから
ノンキャリア組にはいけない到達点でした。
下級役人がギリギリ届くかもしれない範囲の
最高到達点が五位の辺りだったのでしょう。

五位ともなれば昇殿を許され給料も跳ね上がり
政治を動かす一員になれました。
下級・中級役人の憧れのランクだったのです。

 

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恋も仕事もぼちぼちやっている下級役人が
「恋の力なら誰にも負けないのに」
などと言いつつお酒を飲んでくだを巻いている
そんな姿が見えます。
半分は筆者の妄想です。

東歌は皆の共感を誘う歌が多いと
よく指摘されています。

東歌は個人に宛てた恋文というよりも
誰かが口にした上手い歌を
皆が口にして伝播していったのかもしれません。
だから「詠み人知らず」なのでしょうか。

それにしても村や町の人々のぼやきや喜び…
何だかサラリーマン川柳みたいな感じです。
きっと昔の人たちも
楽しい歌を作っては笑いあったのでしょうね。

おわりに

万葉集2イメージ5

いかがでしたか?
男性が詠んだ恋の歌も様々な形がありましたよね。

古代の男性達の恋歌には
「こんな風に思われてみたい」
「こんな風に愛されてみたい」
なんて思ってしまうような
ロマンチックな歌もありました。

現代の恋愛と比べてみてどうでしょうか。
こんな少女漫画みたいな台詞
言われたこと無いわ!
という方の声が聞こえてきそうな気もします。

しかし、案外今の男性達も口にしないだけで
万葉集の恋歌のように
情熱的な気持ちを心に宿しているかもしれません。
だったらいいなあ(願望)。

今回のシリーズでは恋の歌に絞りましたが
それ以外にも面白い歌がざくざくの万葉集。
この記事を読んで
少しでも興味を持っていただけたらと思います。

掘れば掘るほど面白い歌が出てくる
人間味にあふれた古代の和歌集。
一度じっくり読んでみると
やみつきになりますよ。

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※本記事内のInstagramにつきましては、Instagramが提供している埋め込み機能を利用して掲載させていただいております。

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ライター紹介 ライター一覧

紙山 弥実香

紙山 弥実香

図書館勤務経験を持つ趣味人。
自宅の本棚は分類番号と作者の名前あいうえお順で並べることをポリシーとしている。将来自宅に壁一面の書庫を作ることを目標に日々節約している。

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