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【ピカソの絵、シャガールの絵、言葉を超えた場所】

【ピカソの絵、シャガールの絵、言葉を超えた場所】

(アイコン画像版権 : Borislav Marinic)

現在、新国立美術館にて開催中
【ジャコメッティ展】アルベルト・ジャコメッティの作品意図やその人生
ぜひこちらも合わせてご覧ください。

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【ピカソの絵、シャガールの絵、言葉を超えた場所】

言葉というものは
私たちの素晴らしい道具ではありますが、
反面どうにも不便なところがあります。

たとえば

「愛しい人の肌にふれる」

こんなふうに述べたとき、
私たちは確かにその情景や
感触を思い描きます。

でも本当は
心のどこかに
何か物足りなさを感じませんか。

伴侶や恋人、想いを寄せる人の
肌に肌を寄せ、柔らかな温もりを
感じながら心にしっとりと
温かいものが満ちてくる。

この唯一無二の瞬間を
そのまま再現することに対して、
言葉という道具にはなんとも
歯がゆい限界があるとは思いませんか。

絵画や音楽の存在意義の一つが
ここにあると言えるでしょう。

一幅の絵画に出会ったとき、
大切な人の温もりの手ざわりだとか
そこに居てくれる柔らかい
気配に近い感覚が芽生えることが
あるのです。

それはきっと言葉では
捉えられないものです。

またきっと逆の感覚もあるでしょう。

誰かかけがえのない人を
失ったときの喪失感、
悲劇に対する怒りや悔しさ。

そうした感情を、
抽象的になりがちな平凡な言葉を超えて
正確にしかし大きく捉える力、
優れた美術作品には
そうした力もあるのではないでしょうか。

パブロ・ピカソとマルク・シャガール、
彼らの名前と作品には
あなたもきっとどこかで出会ったことが
あるかと思います。

世界の大半が戦火にのみ込まれた20世紀を
ふたりの画家は生き、
またお互いの才能を意識して競い合いました。

作風の移り変わりや
時機に即して臨んだテーマなど、
どちらもテーマにこそ
いくらかの幅はありますが、

ピカソとシャガールは
一面で愛と平和をうたった画家、
と考えることができます。

いままさに「愛」と述べましたが、
愛という言葉が持つイメージや
印象だけではうまく伝わらない、

ピカソとシャガールは言葉以上の
愛の感覚を求め続けた作家で
あっただろうと考えるのです。

【ピカソとシャガール、時代と関係】

ふたりの来歴を簡単に見ていきましょう。

パブロ・ピカソはスペインに生まれ、
主にフランスで活動しました。

美術にあまり関心のない人にさえ
その名前と作品を
わずかでも知られているのですから、

歴史に残る美術界の
スーパースターと言えます。

ピカソと聞いてすぐにイメージするのが、
「キュビスム」と呼ばれる、

モチーフをいろいろな角度から
観察しいくつもの要素に分解し
組み立て直しつつ絵画を構成する、
あの手法ですね。

ですが実は
キュビスムの表現もピカソの
目まぐるしい作風の変化のひとつに
過ぎないのです。

彼の作品の様相には
大きな広がりがありました。

それは作品の特徴によって
若年期から順に青の時代、
ばら色の時代、アフリカ彫刻の時代…

等々と呼ばれています。
さらにそこからキュビスムや
シュールレアリスムといった活動を経て、
晩年には過去の巨匠の作品をアレンジしたり、
あるいは
物議を醸し出すような銅版画を制作したり

最後まで旺盛に活動しました。

もう20年以上前のことになってしまいますが、
筆者は初めての海外旅行で
スペインのバルセロナへ行きました。

バルセロナは
ピカソが青春時代を過ごした街です。
街の中の路地の一画に
「ピカソ美術館」があります。

ここにはピカソの幼年期から
20歳前後のいわゆる「青の時代」に
至るまでの作品が中心となって
展示されていました。

もちろんキュビスム以前の作品ですので、
あの独特のピカソ作品への
先入観とはかけ離れています。

若かりし頃の筆者は
そこでピカソの確かなデッサン力に
舌を巻き、天才の画業の
片鱗を見せつけられた思いでした。

うまく言葉にできないのですが、
モチーフの存在感にこだわりつつ、
自身の才能を主張することも忘れていない
「見るものを打ちのめすような力」を
持った作品だった記憶があります。

マルク・シャガールもまた
フランスで活動した画家です。

シャガールはユダヤ人として
ロシアに生まれました。

ご存知のように
20世紀前半はユダヤ人にとって
苦難の時代です。

ですが、
シャガールは美術を志しつつ
自身の生まれに誇りを持ち、
さらにはユダヤ教の
より神秘的な部分へと傾倒していきます。

乱暴な言いかたになりますが、
シャガールは人間の内面を
特に重要視したのではないでしょうか。

湧き立つ感情を見つめながら
自分自身の存在を支える故郷に対する
想いを自由闊達なタッチで表現しました。

シャガールの才能と仕事は
また舞台美術でも発揮され、
そして戦争という背景があるにせよ、
一時期アメリカでも活動の場を広げました。

戦時中は
ユダヤ人にとって危険なヨーロッパを離れ
アメリカへ亡命していましたが、

終戦とともに
シャガールはフランスへ戻ります。

そして
フランス南部のコート・ダジュールに居を定めます。

ここで上記ピカソとの接点が生まれます。
ピカソもまた同じ街に住んでおり、
ふたりはときに食事を共にし、
制作も一緒に行うこともあったようです。

しかし次第にその関係は
ギクシャクしていきます。

これは完全に推測ですが、
精神的に高潔なシャガールにとって
ピカソは類まれな天才はあっても
人間性があまりに奔放過ぎ
心から好きになれなかったのではないでしょうか。

シャガール作品との初めての出会いは
数十年前のフランスです。

パリから少し離れたランスという街に、
パリのそれとは違うこれもまた有名な
ノートルダム大聖堂があります。

その内部奥に
シャガールが制作したステンドグラスがあります。
大聖堂に初めて入ったときのことは
今でも覚えています。

初夏の昼下がり、
大聖堂の厳粛な光の中に
微かにミモザが香り、

薄暗く静謐な内部を進んでいくと
シャガールの真っ青なステンドグラスが
迎えてくれました。

ですがまだ若い筆者に
これはあまり響きませんでした。

どうも画面の散漫な印象が気になって
シャガールのテーマが
うまく感じられなかったのかもしれません。

しかし時間を経たいま、
同じ作品を見たらまた違う感想を
抱くのだろうと思います。

【愛と平和を問い続ける】

ふたりの画家は愛と平和を描いた…
などと安易に言ってしまうと
不気味なくらい耳ざわりが良いですが、

彼らが考える愛とは
人間らしい弱さを含んだものでした。

そして一方で
平和とはおそらくその愛の延長線上にある
脆いものと知っていたようにも感じます。

また私は
彼らの描いた「愛」とは
「官能」の別名であろうとも考えます。

人間の精神と肉体とは
実はそれほどはっきり分かれてはおらず、
むしろ精神的な愛と肉体的な官能の
ふたつが分かち難く融合した存在こそが
われわれ人間そのものであり、

心と体が融合した人間たちが
さらに他者とふれ合い溶け合う。

そこに生まれる感覚と
その意味をピカソとシャガールは
「愛」あるいはその異名である「官能」
として描き出したのでは
ないのだろうかと考えます。

ピカソには天才的な才能がありました。

そして、
驚異的なデッサン力がありました。

天才の目は愛の地平で
現実の女性のフォルムの向こう側にある
言葉にできない存在感を
捉えていたのではないでしょうか。

それを視覚を超えるかたちで、
敢えて視覚に
落とし込もうとしたのかもしれません。

そのために
彼はキュビスムという表現手法を
とったのではないかと。

しかし
「存在感」だとか
「存在」という言葉もよ
くよく考えると曖昧ですね。

たとえば「存在」…
そういう単語を口にすることはできても
言葉以上の意味を遡ることができないし、
その言葉を使わずに存在することの
なんたるかを語ることが非常に難しい。

ピカソはその困難な部分へと
絵筆をもって
アプローチしたかったのかもしれません。

いっぽうでシャガールは
視覚よりはむしろ触覚的であるように感じます。

ピカソは目で、
視覚で対象を捉え丁寧になぞることで
その深奥へ向かおうとしましたが、

シャガール作品には
「あえて目をつむって対象を抱き寄せて描く」
ような印象を受けます。

実際のかたちはあまり重要ではなく、
相手が私の心にどのように入って来たか、

またあるいは
私が相手の中にどのように入り込んだのか、
そうしたコミュニケーションのなかで
私たちが作り出す世界はどういったものか。

そこに関心があったように感じるのです。

ですから
やはり両者に共通するものを
ひとつ取り上げるとすれば、

「愛」であり、
その集合である「平和」では
ないかと言えます。

平和というテーマにフォーカスした作品は、
ピカソとシャガールの
愛の世界あるいは愛が失われた世界への
眼差しと考えて向き合えば
また違ったものが見えてくるのかもしれません。

しかしこれも言葉の限界で
「愛」や「平和」と聞いて
単純にイメージするようなシンプルで

プラトニックなものではない、
ふたりの画家はむしろ官能をもって
彩られる世界のありかたを意識していた。

そこには肉体があり、
温もりがあり、
肉体と同じ温度を持つ心があって、
ふたつはひとつで分けることができません。

これは自分自身と
目の前のあなたの間にある関係の全て…
とでも言いましょうか。

自分も相手も同じように
孤独に存在することができない弱い存在。

愛のなかで、
関係のなかで生きざるを得ない。

しかし
その関係こそが自身を強いものにする。

弱い私がいて、
弱いあなたがいて、
見つめあいそして抱きしめあって、
少しだけ強くなる…

この素晴らしい出来事の意味は
一体何でしょうか。

また反対に、
やはり弱い私がいて弱いあなたがいて、
誤解しあって憎しみあって
ただ生命力と命が失われる
不条理と悲劇の意味は。

ふたりの画家の功績のひとつは、
そうしたことへの問いかけで
あろうと考えます。

愛とその集合である平和は
どちらもそれ自体を問うことに
意味があります。

愛と平和とは何であるのか?

と自分に問いかけたとき、
人すでに愛と平和に向かって
歩みをはじめているのであり、

いつまでもそうした
自問を続けることで
世界は少しずつ良い方向へ
向かうのだと筆者は信じています。

「ピカソとシャガール 愛と平和の賛歌」展

snufさん(@snxmxns)がシェアした投稿

箱根 ポーラ美術館で
「ピカソとシャガール 愛と平和の賛歌」展
が開催されています。
(2017年9月24日まで)

naomi_nmさん(@naomi_nm_)がシェアした投稿

ピカソやシャガールの作品を前にしたら、
その作品を通じて
彼らの愛と平和への問いかけを探り、
また答えを学び、

いま私たちに何が求められているのかを
じっくりと考えてみてください。

そしてそこで、
言葉だけではない何かを
手に入れられることを願っています。

そして、
日本が世界へ誇る
絵師・葛飾北斎については
【葛飾北斎展覧会】日本が誇る浮世絵師・北斎の画狂人生
こちらをご覧ください。

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ライター紹介 ライター一覧

レイン

レイン

若いころは美術教育を真面目に学ばずに哲学や文学に溺れていました。今はグラフィックデザイナーとして糊口をしのぎながら頭に浮かんだことを書いています。

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