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【ブリューゲル展】東京都美術館で4/1まで開催中!音声ガイドには声優・石田彰さんが参加で話題!《2018年注目の展示》

【2018ブリューゲル展】東京都美術館で開催!!音声ガイドには石田彰さんが参加で話題

(アイコン画像/版権:jorisvo)

東京都美術館で開催中の
ブリューゲル展!

人気声優・石田彰さんが音声ガイドに
初挑戦したことでも話題の展覧会です。

主役となるのは
150年にわたって活躍した
ブリューゲル一族の9人の画家たちです。

世代でいうと4世代にもわたります。

4世代の中に同じ職種の人が
何人も存在するなんてすごいですよね。

しかもみんながみんな
数百年経った現在にまで残る作品を
残しているなんて!

そんなに長い歴史をもつ
一族の祖は一体どういう人物だったのか?

一族が活躍した16〜17世紀は
どんな時代だったのか?

今回は、これを知っておくと
ブリューゲル作品の鑑賞がもう少し楽しくなるかも!
というブリューゲル一族に関する情報をご紹介します。

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<150年にわたる画家一族>9人の画家たち

16世紀から17世紀にかけ、
フランドル地方(現在のベルギー)の画家として
活躍したブリューゲル一族。

フランドル地方で栄えた美術を
「フランドル派」や「フランドル絵画」と
巷では言っていますが、

フランドル絵画といえば!となったときに
必ず出てくるのがブリューゲルです。

ブリューゲル一族の家系図をまとめると
ざっとこんな感じです。

【2018ブリューゲル展】東京都美術館で開催!!音声ガイドには石田彰さんが参加で話題!
名前、長いですね…。
しかも似すぎ!
名前は似ていますが、
一族の中でそれぞれの画家がもつ
違う魅力もあります。

もちろん一族の中で継承されている魅力も。

ここからは、
数字のふられた人物たちについて
ひとりずつ簡単にご紹介します。

ピーテル・ブリューゲル1世(1525/30-1569)

16世紀におけるフランドル絵画の巨匠、
ピーテル・ブリューゲル1世。
画家一族の軌跡は彼から始まりました。
以下、「ピーテル1世」と記載します。

「農民画家」と呼ばれるほど
農民を題材とした絵画を多く描きました。

一族の中でもダントツの
知名度を誇るピーテル1世。

彼については
のちほど詳しく見ていきましょう。

ピーテル・ブリューゲル2世(1564-1637/38)

ピーテル1世の長男です。
以下、父と区別するため、
「ピーテル2世」と記載します。

ピーテル2世はブリュッセルで生まれ、
その画家人生の大半を
アントウェルペンで過ごしました。

アントウェルペンは
現在のベルギーに属している地域で、
「アントウェルペン」というのはオランダ語で
英語では「アントワープ」と言います。

20歳の頃には
聖ルカ組合というギルドで親方の資格を
取得したピーテル2世。

この「ギルド」というのは、
中世から近世にかけて
ヨーロッパの一部の都市で
結成されていた
同業者組合を指します。

もちろんその中には
芸術家たちによって結成された
ギルドもありました。

そして、近代初期頃の芸術家ギルドに
共通してつけられた名称が
「聖ルカ組合」でした。

そしてそして、その中でも
最も有名なギルドのひとつが
アントウェルペンの聖ルカ組合だったそう。

聖ルカ組合のルールでは、
親方の資格をとらなければ
弟子をとったり自分の工房をもったり、
作品を売ったりすることができませんでした。

24歳頃に妻・エリザベスと結婚し、
その後
長男・ピーテル・ブリューゲル3世を授かります。

この長男も画家になり、
後にアントウェルペンの組合に入ったとか。

ピーテル2世もまた、
農民を題材とした絵を描いていました。

また、
彼自身多くのオリジナル作品を残していますが、
父の作品を数多く模倣していたことでも有名です。

模倣作は国内外で販売されていたため、
父の作品が世界に知られるのに
一役かっていました。

ピーテル1世の凄さが世に広まった背景には
このような息子の貢献もあったんですね。

 ヤン・ブリューゲル1世(1568-1625)

ピーテル1世の次男です。

父の作品を多く模倣する
兄のピーテル2世とは異なり、
弟のヤンは独自のスタイルを築きました。

当時彼は、ネーデルラント南部の
どの画家よりも早く
花の静物画を描き始めました。

ここで聞き慣れない言葉、
「ネーデルラント」が出てきましたが、
これは、西ヨーロッパにある低地地域を指し、
現在のベルギーやオランダが含まれます。

花の静物画を描き始めるきっかけとなった
最初の作品は、当時のパトロンである
ミラノ大司教ボロメオのために制作されたと
言われています。

20歳の頃にイタリアに発ち、7年にわたって
ナポリ、ローマ、ミラノを訪れました。

イタリア滞在を通し、
風景画や被写体を細部まで描くという
技巧に更に磨きをかけたようです。

先に挙げたボロメオに出会ったのも
イタリア(ミラノ)でした。

ドイツとチェコで短い滞在を経て、
ヤンはアントウェルペンへ戻り、
兄と同様、親方として
聖ルカ組合に認められました。

最初は主に風景画を描いていましたが、
他の画家と共作を重ねるうちに、
動物画や静物画なども描くようになったそうです。

ヤンは2回結婚しており、
先妻、後妻との間で授かった子供もまた、
画家としての人生を歩んでいます。

余談ですが
ヤンが生まれてまもなく
ピーテル1世は亡くなっています。
兄のピーテル2世もずいぶん小さい頃でした。

ピーテル1世がふたりに絵を教えたんじゃないの?
と筆者は思っていましたが、
ふたりに最初に絵を教えたのは
祖母のマイケン・ヴェルフルストだったんです。

というのも、ピーテル1世が亡くなった後、
母のマイケン・クックも亡くなってしまい
兄弟2人は祖母のもとで
暮らすことになったのでした。

祖母の教えがなかったら
ふたりの作風もまた違うものに
なっていたのかもしれませんね。

ヤン・ブリューゲル2世(1601-1678)

ヤン・ブリューゲル1世の息子です。
父のヤン・ブリューゲル1世と区別するために
「ヤン2世」と記載します。

10歳から父のもとで修行をしていたヤン2世。
寓意画や神話画を得意としていました。

当時の需要に応えるために
ヤン2世は父の模倣作を手がけていました。

父のサインで売ることもあったため、
どの作品をどちらが描いたのかを区別するのは
難しいと言われています。

ただ、ヤン2世の作品は
少し明るめのトーンで描かれているという
特徴があるそうです。

ヤン2世もイタリアに渡りますが、
父の死をきっかけに
アントウェルペンへ戻ります。

そこで父の工房を継ぎ、
聖ルカ組合の組合長として務めながら
父同様に他の画家達と共同で
多くの作品を制作しました。

ヤン2世は、父に比べて創造性や緻密性に
欠けると評価されていますが、
筆者のような素人目からすれば
ふたりの作品について
とても優劣なんてつけられません…。

ふたりの作品を見比べるのも
ひとつの楽しさかもしれませんね。

アンブロシウス・ブリューゲル(1617-1675)

ヤン1世のふたり目の奥さんとの子供です。

7歳のときに父が亡くなったため、
ヘンドリック・ファン・バーレンなど
当時の著名な画家3人が
彼の後見人となりました。

ヘンドリックから絵を学び、
28歳で聖ルカ組合に入ります。

アンブロシウスもまた、
風景画や寓意画など、
細密描写を用いて描きました。

父や兄と同様、花の静物画も描いており、
《ガラスの花瓶に入った花束》
《花束に入ったチューリップとダリア》
などの作品を残しています。

ダーフィット・テニールス2世(1610-1690)

ヤン1世の娘、アンナの夫で、
ヤン2世やアンブロシウスの
義弟にあたります。

アントウェルペン生まれ、
父のもとで修行をしたダーフィット。

ヤン1世の娘と結婚して有名になったというより、
彼自身、結婚前から
高く評価されていた画家でした。

同じフランドル出身の画家、
アドリアーン・ブラウエル(1605〜1638)に
強い影響を受け、
農民を題材にした絵を多く手がけました。

もちろん、義父であるヤン1世からも
影響も受けていました。

大衆的な絵の他にも、
寓意画や宗教画など幅広く活躍し、
当時のネーデルラント総督に
宮廷画家として仕えていたそうです。

ネーデルラント総督といえば、
陸海空軍の最高司令官です。
とても高い地位の人に仕えていたんですね。

ダーフィットの作品を観ると、
ヤンやヤン2世、
アンブロシウスとはまた違った
雰囲気がうかがえます。

ヤンファン・ケッセル1世(1626-1679)

ヤン1世の孫にあたります。

9歳にして師匠を持ち、
18歳で聖ルカ組合に入ったそうです。
若い頃から才能を発揮していたんですね。

彼は、自身の画家人生を通して
ずっと祖父であるヤン1世の様式を
取り入れてきましたが、同じフランドル画家の
ヨリス・へフナゲル(1542〜1601)が描く
博物画にもインスパイアされていました。

動物や蝶、昆虫、花など、
小さな枠の中で描かれる
その鮮やかで細密な絵は、
鑑定士やコレクターの中でも
高く評価されている作品ばかり。

図解入りの生物の本を片手に
絵を描いていたのだとか。

《蝶、カブトムシ、コウモリの習作》
なんて、本物の標本かと
二度見してしまいそうです。

細部まで丁寧に描かれた
彼の作品に見入ってしまいます。

ヤン・ピーテル・ブリューゲル(1628-1680以降)

ヤン2世の子供で、
ヤン1世の孫にあたります。

花の静物画を得意としていて、
他の画家との共作も多くあります。

なかでも花綱装飾を題材にした作品を
多く残しており、
花の部分をヤンが、
人物の部分は他の画家が、
というように共同で作品を作っていたそうです。

アブラハム・ブリューゲル(1631-1697)

彼もヤン2世の子供で、
ヤン1世の孫にあたります。

父のもとで修行し、
若い頃から才能を開花させ、
まだ15歳だったにもかかわらず
ヤン2世は彼の花の静物画を売っていたのだとか。

18歳でイタリアに移り、
都市を数回移動しながらも
亡くなるまでイタリアで過ごします。

他の一族の静物画との違いとして、
アブラハムの静物画は、
果実や花の後ろに
背景が描かれていることで有名です。

アブラハムもまた、
数人のイタリア人画家と共作しています。

共同で制作する際は、
背景の部分はアブラハムが担当し、
人物はイタリア人画家が担当していました。

アブラハムに限ったことではありませんが、
2人で制作したとは思えないくらい
統一感があるものばかりです。

2<一族の祖>ピーテル1世について掘り下げてみる

ピーテル・ブリューゲル1世は
存命中から非常に有名だったにも拘らず、
彼の生涯に関する情報は
ほとんど残っていません。

カレル・ヴァン・マンデルという人が
彼の死後35年経ってから
ピーテル1世の第1号となる
伝記を書きました。

マンデルが残した伝記も参考にしながら、
ピーテル1世の生涯について振り返ってみます。

初期

ピーテル1世は
1525年〜1530年の間に
生まれたと考えられています。

詳しい生地については諸説あり、
今でも謎に包まれています。

ピーテル1世の出発点 アントウェルペン

先に挙げたマンデルの伝記によれば、
ピーテル1世は、
アントウェルペンにある
ピーテル・クック・ファン・アールストの工房で
見習いをしていました。

クックのこの工房は
当時のネーデルラント南部の中でも
最大の工房のひとつだったとか。

後にピーテル1世は
師匠の娘であるマイケン・クックと結婚します。

そして、
ピーテル1世の師匠は
クックだけではありませんでした。

後の義母となるマイケン・ヴェルフルストもまた、
ピーテル1世に絵を教えた人物と
考えられています。

マイケン・ヴェルフルストは彼に
細密画の基礎を教えていたそうです。
現在までに彼の細密画は発見されていませんが、
彼の作品を見ると
細部まで描き込まれているのがよくわかります。

これが本当なら、
息子たちも祖母から教わったわけですから、
親子で祖母から教わっていたことになりますね。

そんなこんなで1550年、ピーテル1世は
聖ルカ組合に入りました。
もちろんこの時点ではまだ無名の画家です。

まさかその後
150年にわたる画家一族に発展していくとは
ピーテル1世も思っていなかったでしょうね。

芸術を学びにイタリア旅行へ

1552〜1553年頃、芸術を勉強するために
人生初のイタリア旅行へ出発します。

この頃のイタリアはというと、
マニエリスムという様式の影響が強かった
ルネサンス後期にあたります。

ルネサンス美術に触れたピーテル1世でしたが、
すごく影響を受けることもなく
自分流のスタイルを確立させていくのでした。

影響を受けた画家 ヒエロニムス・ボス

ピーテル1世に
強い影響を与えた人物が
同じフランドル画家である
ヒエロニムス・ボス(1450-1516)です。

ヒエロニムス・ボスは、
ピーテル1世と同じフランドルの画家で、
その(かなり)独特の作風と世界観から
絶大な人気を集めていた画家のひとりです。

ピーテル1世がボスの模倣をし始めた頃、
ボスの死後30年近く経っていたそうですが
それでも人気があったのだとか。

特に初期の作品にボスとの類似性が見られますが、
ボスの影響が強く反映されていながらも、
ピーテル1世独自の色遣いや色合いも
作品から見受けられます。

成熟期

イタリア旅行の後、
ピーテル1世はアントウェルペンに戻り、
1563年にブリュッセルへ移住します。

そして亡くなるまでの6年間、
ブリュッセルで過ごします。

この6年間は、
短いけれども称賛につながる
多くの作品を生み出した貴重な期間です。

ブリュッセルへの移住〜結婚、子供の誕生

ブリュッセルへ移った1563年、
マイケン・クックと結婚しました。

あの有名な《バベルの塔》のひとつが
描かれたのもこの年ですね。

《バベルの塔》は3種類あり、
現存しているのはこの年と
1568年に描かれた2種類のみ。

あとの1種類はローマ滞在中に描かれたもので、
もう存在していないのだとか…。

ブリュッセルで4人の子供を授かり、
そのうちのふたり(ピーテル2世とヤン)は
父のように後世にまで続く画家へと
成長していくのでした。

人間の営みと自然を描いた月歴画

1565年、ピーテル1世は
アントウェルペンで
美術品収集家として有名だった
ニコラスという人物の依頼で
月歴画を描いています。

月歴画とは、1年の各月の
象徴的なイベントや動物、
風景などを描いたものです。

雪の中農民が猟りをするところ、
収穫をしているところ、
労働をしているところ。

1年を通して
自然の中で生きる農民の姿を観ると、
こういう生活をしていたのだなと想像でき、
なんともほっこりします。

後期

月歴画を描いた年以降も、
《怠け者の天国》、《農民の婚宴》、
《鳥の罠のある冬の風景》などなど、
「有名な作品」レベルの作品が
ぞくぞく出ています。

出すもの出すもの大当たりといいますか、
突っ走り続けるピーテル1世、すごすぎます…!

新しいスタイルの構築

ピーテル1世の作品の中に
《農民の踊り》という作品があります。

1566〜1567年に描かれたものですが、
この中で彼は、
農民の踊っている様子や雰囲気を伝えるため、
人物を大きく描くという
新しい方向性を見出しています。

どんなに評価を得ても
追求し続けるところが
芸術家らしいというか、
見習いたいと思う筆者でした。

子孫へ与えた影響

ピーテル1世の残したものは
息子ふたりへ直接受け継がれました。

彼の影響はブリューゲル一族だけに留まらず、
他のフランドル地方の画家たちにまで
広がり、彼の作品を模倣する画家もいました。

50歳よりも若くして亡くなるという
一見短い人生ですが
彼が残した作品と後世への影響を考えると
なんとも濃い人生ですね。

ピーテル1世は
ノートルダム・ド・ラ・シャペル教会に
埋葬されています。
ちなみに奥さんと結婚したのもこの教会だとか。

現在はベルギーの観光名所のひとつとして
世界中から観光客が訪れています。

 <16〜17世紀>ブリューケル一族の生きた時代

【2018ブリューゲル展】東京都美術館で開催!!音声ガイドには石田彰さんが参加で話題
(イメージ画像/版権:jorisvo)

ブリューゲル一族が活躍したのは
今から500年近くも前のこと。

そんな彼らが絵を描いた時代背景について
まとめてみます。

ルネサンスと宗教改革

ルネサンスと宗教改革。
どちらも授業で耳にしたできごとですね。

ルネサンスは14世紀にイタリアで
文化運動として始まり、
その後ヨーロッパ各地へ広がっていきました。

キリスト教に束縛されることのない、
新しいかたちの芸術が発展していった
できごとでした。

16世紀においては
ルターによって宗教改革が始まり、
ドイツ社会だけではなく、
ヨーロッパにまで広がる
できごととなりました。

こんな歴史的イベントが起きた時代に
生きたブリューゲル家。
彼らの作品にも少なからず
影響があるかもしれませんね。

チューリップ・バブルと静物画

【「ブリューゲル展」みどころ③】★一族の得意とした細密描写★今回の出展作品には縦・横30cm未満の比較的小さな作品が多く含まれていますが、いずれも驚くほど細部を描きこんでいます。代々受け継がれた細密な描写は必見です。…

東京都美術館 Tokyo Metropolitan Art Museumさんの投稿 2018年1月26日(金)

そもそも花の静物画が
フランドル地方で描かれるようになったのは
16世紀のこと。

この背景にあったのが、
自然、特に植物への関心の高まりでした。

そんな中、フランスの植物学者によって
チューリップがオランダへやってきます。

この頃のオランダには
まだチューリップが存在していなかったので、
その新奇性から富裕層の中で
ものすごい人気を集めたのでした。

17世紀に入ると、特に珍しい模様の
チューリップを所有しているということが
一種のステータスシンボルとなり、
チューリップの球根の価格がどんどん上昇。

ピーク時には、球根ひとつが
家一軒分相当の価格で取引されていたそう!

これが世界最古のバブルと言われている
チューリップ・バブルです。

このチューリップ・バブルを背景に、
オランダではもちろん、
フランドル画家たちの静物画に
チューリップが多く登場するようになりました。

そして、画家たちが好んで描いたのが
人々から人気を集めていた
珍しい模様のチューリップでした。

ここで言う「珍しい模様」というのは、
濃い色と白色のマーブル柄になっているもの。

実はこの珍しい模様の正体は
ウイルス感染だったのですが、
当時はその謎が解明されていなかったのです。

一見すると「細部まで描かれた綺麗な絵だな」
で済んでしまいそうな花の静物画にも、
このような背景があったんですね!.

ちなみに、
1637年にバブルが崩壊した3年後、
ヤン2世はチューリップ・バブルを風刺した
《チューリップ取引の寓話》という
作品を完成させました。

描かれているのは
上流階級の衣装をまとった猿たち。

ルネサンス美術では、
人間の欲深さや愚かさの隠喩として
猿が用いられていたそうです。

ヤン2世はチューリップに投資した投資家たちを
頭の空っぽな猿に例えたんですね。

ブリューゲル作品に見る当時の農民たちの日常

ブリューゲル作品には
農民や自然を題材にしているものが多くあります。

ピーテル2世は、実際に農村へ行き
その姿を観察していたそうです。

農村での日々の労働などの日常的な姿と
結婚式などで踊り祝う特別な日の姿。

そこに映し出されている
当時の農民達の幸せを見ると
今の自分たちの生活にも
似たようなところを見出すことが
できる気がします。

<ブリューゲル展>超貴重な展覧会@東京都美術館

【「ブリューゲル展」みどころ②】★ほとんどが日本初公開となる貴重なプライベート・コレクション★本展では、一族の画家たちが生み出した様々なジャンルの作品およそ100点を展示。その多くが、通常観ることのできない貴重なプライベート・コレク…

東京都美術館 Tokyo Metropolitan Art Museumさんの投稿 2018年1月25日(木)

<ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜>と題し、
上記でご紹介した9人の作品が
1月23日(火)から4月1日(日)まで
東京都美術館にて展示されています。

しかも1月23日(火)〜2月18日(日)まで
一部作品は撮影可能とのこと。

これはぜひとも期間内に行って写真に収めたい!
この期間は特に込みそうですね。

ほとんどが日本初公開 選りすぐりの約100点!

展覧会では、
総勢約100点の作品が展示されます。
そのほとんどが日本初公開となる
超〜貴重な展覧会です。

一族の作品を一気に鑑賞できるのはもちろん、
マールテン・ファン・ファルケンボルフや
ヘンドリク・ファン・クレーフェ、
ヤーコプ・グリンメルなど、
他のフランドル画家達の作品も展示されてます。

また、7つのテーマに分けて
展示されているようですが、
その構成もどうなっているのか見物です。

ミュージアウムショップでは、
今回のブリューゲル展にちなんだグッズが並びます。
画像は、ブリューゲル作品をイメージした和三盆。

画家一族の軌跡を語るのはこの人!石田彰さん

この展覧会はその貴重さに加え、
音声ナビでも話題となっています。

音声ナビを担当するのは石田彰さん。

石田さんといえばアニメだけでなく
数々の映画でも吹き替えをしている
声優さんです。

名前だけでピンとこない人でも、
石田さんが演じている声を
聞けば「あ〜!」となるはず。

それくらい多くの作品に出ています。

音声ナビは美術館の鑑賞の楽しさに
影響するくらい重要(筆者談)ですから、
特に石田さんファンの方にとっては
たまらないでしょうね。

筆者も行くとしたら音声ナビを聴きながら
ブリューゲル一族の軌跡を
鑑賞したいと思います。

ここまで一族について書きましたが
実際に彼らの作品を鑑賞することで
新たな発見があるかもしれません。
ぜひ足を運んでみてください。

【ブリューゲル展】東京都美術館で4/1まで開催中!音声ガイドには声優・石田彰さんが参加で話題!《2018年注目の展示》

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imako

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翻訳、ときどき執筆、ときどきアート鑑賞。
のんびり生きています。

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