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【2018年の横山大観展】生誕150年!富士山など日本画の巨匠横山大観とは!?

【2018年の横山大観展】生誕150年!富士山など日本画の巨匠横山大観とは!?

明治、大正、昭和——。

明治維新に始まり、この激動の時代を生き抜いた
日本画の巨匠・横山大観。

そんな横山大観の誕生から今年でちょうど150年、
没後からは60年が経ちます。

ということで今年は
生誕150年を記念した横山大観展が開催され、
普段は見られない大観作品を見ることができる
チャンスの年でもあります。

ところでみなさん、横山大観ってご存知ですか?
「日本人なら誰でも知っている画家!」と
いわれるほどの有名人ですが、
筆者のまわりには大観について知らない人が
ちらほらいました。

この記事を読んでいる方の中にも、

「なんかすごい人っぽいけど、どんな作品を描いて
どんなことをした人かいまいちわからない…」

「美術の教科書にいた気がするけど、記憶が…」

「実は横山大観という名前すら初耳…」

という方もいるのではないでしょうか。

今回この記事を書くにあたり
筆者も改めて横山大観について調べてみましたが
知らないことだらけでした。

まずは近代日本画に多大な影響を残した
その画家生涯を振り返ってみます。

展覧会情報もご紹介するので
チェックしてみてくださいね。

大画家・横山大観とは?

横山大観は、明治元年9月18日、
代々水戸藩に仕えていた酒井家の長男として
生まれました。
現在の地名で言うと、茨城県水戸市にあたります。

10歳のときに一家で上京し、
のちに母方の横山家を継いだため、
姓を「横山」に改めました。

実は建築家志望だった大観、
17歳で洋画家・渡辺文三郎から鉛筆画を学び、
その傍ら英語学校に通って
英語も学んでいました。

しかし明治21年、
東京美術学校(現在の東京芸術大学美術学部)が
開設されることを知るとまさかの方向転換!

画家になることを決意したのでした。

• 東京美術学校入学、師友との出会い

東京美術学校の開設を聞いた翌年、
無事に第1期生として入学した大観は、
橋本雅邦(1835-1908)、
岡倉天心(1863-1913)に師事します。

橋本雅邦も岡倉天心も、
近代日本画の基盤を築いたといわれる人物です。

明治維新に伴う欧米化によって
他の分野ではもちろん、日本古来の美術にも
大きな影響が及んでいたこの時代。

校長の岡倉天心は、
欧米化によって押しやられた日本美術の再興を
理想としていました。

そして大観はこのような岡倉天心の思想を
支持する賛同者のひとりでした。

同期には下村観山(1873-1930)や
西郷孤月(1873-1912)がおり、
一学年下の菱田春草(1874-1922)は生涯の親友に。

大観は春草と一緒に行動することが多かったようで、
古画を模写するときはいつも春草と行動を共にしたと
自伝『大観画談』の中で話しています。

「始めから写すと魂の抜けた絵ができてしまうから
3、4日遊ぶつもりで絵とにらめっこしよう」

そう決めたふたりは、お寺へ行くとまず
絵をとにかく絵を見つめることから始めました。

そして絵をしまう。
今度は頭の中で絵を描く。
そしてまた絵を見つめる。

そんなことを1日中繰り返し、下宿に戻ると
今度はその日の記憶をスケッチブックに描き出す、
という作業を何度も繰り返し、
スケッチブックに描いた絵に納得がいったところで
はじめて模写にとりかかったのだそうです。

絵によっては1週間も
同じことを繰り返したのだとか。

小さなことをコツコツと真面目にこなす
大観の謙虚な姿勢が伝わってくるエピソードですね。

尊敬する師や友と出会い、
明治26年、大観は東京美術学校を卒業しました。

• 母校の教員となるも辞職、画人横山大観の再スタート

明治28年に京都に移り、
京都市美術工芸学校の教員になった大観でしたが、
翌年同学校を辞職し、
母校・東京美術学校の助教授になりました。

しかし、先に述べた校長・岡倉天心の思想には
敵も多く、明治31年には辞職を迫られることに。

助教授の大観も、30人の教員と共に
辞職することになってしまいました。

同年、岡倉天心先導のもと、
日本美術院という美術家団体が設立され、
天心の思想に賛同していた大観も
その設立に参加しました。

画人大観にとって
新たなスタートとなったのでした。

新しい作風の探求、そして批判

新たなスタートをきった大観。
この頃から、春草と新しい日本画法の創造する
試行錯誤の日々が始まります。

ふたりは、西洋画で用いられていた
「没線描写」という技法を取り入れつつ、
描線をあえてぼかすことによって
光と空間の表現を試みました。

この技法、現在では受け入れられているものの、
当時は輪郭をはっきり描かないことから
「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれ、
評価されるどころか批判を浴びていました。

しかしそれでも大観は
へこたれずに前を向き続けます。

明治36年には春草とインドへ渡り、
37年にはアメリカで、38年にはイギリスで
新作展を開くなど、海外にも積極的に訪れ、
とても高い評価を得たのでした。

さらに明治40年には
第1回文部省美術展覧会(文展)の
審査員に就任します。

美術院の創設から9年が経ち、
大観は39歳になっていました。

横山大観、走る影にあった苦悩

批判にもめげず前進し続けた大観ですが、
その裏ではさらなる苦悩を経験していました。

明治35年には妻が病死、
イギリスで新作展を開いた明治38年には
長女が病死…。

さらにこの頃、
海外で評価を受けるようになっていたものの、
日本美術院は経営不振に陥っており、
明治39年には規模縮小のために
茨城県五浦へ拠点を移すことになります。

そして文展の審査員になった年には父が病死し、
その4年後には朋友・菱田春草も
亡くなってしまいました。

大観は、五浦への移転前後のこの時期について
この頃ほど悲惨な生活はなかったと話しています。

師・岡倉天心の死去、日本美術院の再興

大正2年、岡倉天心が死去しました。

師の死去をきっかけに、
大観は天心の理想の実現に向けて
日本美術院再興を決意し、その先頭に立ちました。

そして大正3年、
再興日本美術院の第1回展覧会を開催します。

以後、展覧会は多くの名作が生まれる場となり、
大観自身も約40年間、
87歳になるまでずっと出品し続けました。

衰えない制作意欲、晩年までの軌跡

日本美術院の再興を決意してから13年後、
時代は昭和へと移り変わります。

昭和5年、大観はローマでの日本美術展に
美術使節として任命され、
昭和6年には帝室技芸員に選ばれ、
アメリカでの日本画展覧会にも出品。

昭和12年には第1回文化勲章を受章します。

第二次世界大戦が始まった翌年には、
《海山十題》の売上金50万円を
陸海軍機製作のために寄付しました。
(おそらく現在の金額にすると相当な額に
なるでしょう…。)

その翌年には太平洋戦争が勃発し、
昭和18年に太平洋戦争の翼賛団体として
日本美術報国会が結成され、
会長に就任しました。

…と、昭和に入ってからの大観に起きた
主なできごとを列挙してみましたが、
いかに大観が高く評価されていたかわかりますね。

また、戦争というものが美術界にまで
絡んでいたことがわかる時期でもあります。

そして広島と長崎に原爆が投下された昭和20年、
大観はすでに77歳になっていました。

その後も制作意欲は衰えず、
89歳で亡くなるまで絵を描き、
展覧会への出品も続けました。

そんな大観最後の作品は、89歳のときに
「むさしのに因む日本画展」に出品した
《不二》です。

大観の年表に目を通すと、
彼が生涯にわたり制作した作品や出品した作品の
多さとそのバイタリティに驚きます。

同時に、戦争、敗戦、数々の歴史的事件という
現代に生きる私たちには想像もできないような
状況の中、どんな心情で絵と向き合い、
その胸中が絵の中でどう表されているのだろうと
思う筆者でした。

大観が世に出した画家 小川芋銭

菱田春草以外にも、
横山大観が尊敬し、仲の良かった人物がいました。

それが小川芋銭(うせん)です。

小川芋銭は、大観と同じ明治元年に生まれました。
13歳から画業を学び、
成人後は新聞への風刺漫画で収入を得ていました。

そんな芋銭が日本画の製作に
本格的に乗り出したのは37歳の頃。

大観がロンドンで展覧会を開いている頃、
芋銭は仲間たちと珊瑚会というグループを
結成しました。

そして、その珊瑚会の第3回展覧会に
初出品となる『三人笑』『森羅万象』『肉案』の
3作品を出品したところ、
大観と斎藤隆三(1875-1961)の目に止まり、
美術院への誘いを受けたのでした。

芋銭と大観、ともに50歳のときのことでした。

芋銭は美術院とほとんど接点がなかったため、
この意外なスカウトに世間は驚いたそうです。

当時、漫画家としか知られていなかった
芋銭のような無名な画家をスカウトするという行動に
大観の思い切りさが垣間見られますね。

美術院の一員となった芋銭は、
漫画家人生にピリオドを打って
絵画の道へと進むことになります。

画家としての芋銭は、農村や自然の絵を好んで描き、
中でも河童を多く描いていたので
「河童の芋銭」の異名を付けられるほどでした。

芋銭もまた、今でも多くの人に
愛される作品を残しています。

性格も画境も正反対のふたり 横山大観と小川芋銭

小川芋銭の「芋銭」という雅号の由来は、
自分の絵が芋を買える銭になれば良い、
そのような想いからつけたといわれています。

このエピソードを知ったとき、
芋銭という人物に対して謙虚というか
欲深くないというか、
そのような印象を筆者は受けました。

そして実際彼は、作品ににじみ出ているように、
自然を愛する素朴な人柄だったようです。

芋銭は生涯のほとんどを牛久沼(現在の茨城県)
の岬で暮らし、農業に励んでいました。

糞尿の入った桶をかつぎ、
田畑を耕し、養蚕も試み、
ときには学校の視察をする地方の行政官と
教員の衝突の間に入り、
ときには近所の夫婦喧嘩の仲裁に入り…。

村会議員の選挙があれば
2キロ近く離れた役場まで足を運んで投票し、
村民としての責任を全うするような人物でした。

田舎のおじちゃんのような、
なんだかすごく親近感が湧いてきます。

公開展覧会に何十枚もの作品を
謝礼も受けずに描いたこともあったそうです。

そんな芋銭について斎藤隆三は、
「特殊な存在」「現代の神仙を見ているようだ」と
述べています。

大観も芋銭の人柄に惹かれてか、
本人といる時でもいない時でも、
芋銭のことを尊敬し、
「小川先生」と呼んでいたそうです。

一方大観は、朝から夕方までずっと画室にこもり、
夜になったらストレス解消も兼ねて料亭へ行き、
お酒を飲んで女と戯れるのが常でした。

長期間一人旅に出るような芋銭とは反対に
孤独に耐えられなかった大観は
春草と頻繁に東京へ行き、滞在場所を決めると、
長いときには1週間も滞在していたのだとか。

また、大観の矛盾した性格が
うかがえるエピソードがあります。

それは知り合いの学生を家に招いたときのこと。

夕飯のときにその学生にお酒を勧め、
学生が、あまり飲めないので、と遠慮すると

「若いくせに飲めないなんて何事だ!」

と怒り出し、学生が仕方なく飲むと

「ちょっとしか飲んでいないのに
顔が赤くなるのは何事だ!」

そしてしまいには、

「学生のくせに酒を飲むとは不届きだ!」
と怒る始末。

見事に矛盾していますよね。

この学生というのは、
のちに横山大観記念館二代目館長となる
大智経之氏なのですが、もしかしたら大観は
わざと大智氏の困るようなことを言って
楽しんでいたのかもしれません。

いずれにせよ
「一緒にお酒飲みたくないタイプ…」という印象は
正直否めませんが、

「大観さんだったらしょうがないか!」と、
周りの人が許せてしまうような
人柄だったのかなとも思ったりします。

そんな少々厄介(?)な一面もある大観ですが、
芋銭が脳溢血で倒れたときには、
東京から牛久沼の芋銭のもとへ
お見舞いに行くという友人想いの一面もあります。

その日は雨上がりで道が悪く
車が途中で止まってしまったので、
大観は車から降り、泥まみれになりながらも
歩いて芋銭に会いに行ったのだそうです。

川の畔の小さな生き物や風景、河童など
幻想的で暖かい作品を描く芋銭と
人物や自然を繊細かつ壮大なスケールで描く大観。

画境も性格も似ている点の方が少ないふたりですが、
お互いに尊敬し合う、素敵な間柄だったのだろうと
筆者は思います。

食事の代わりにお酒…? 酒徒・大観

横山大観がお酒好きというのは有名なお話。

若い頃はもちろん、お酒好きというのは
年を重ねてからも続いたそうで、
晩年にはほとんど一般的な食事をとらずに、
お酒ばかりを飲んでいたそうです。

大観は自伝の中で、こう書いています。

「世間では私のことを大酒飲みと思っている人が
いるかもしれませんが、それは間違いです。
私はただ酒を愛するだけです。
酒徒と言う言葉がありましょう。
私はただそれだけなのです」

自ら酒好きと認めていますね。

そんな酒徒・大観は、最期の病床、
当時の医学の粋を集めてもなお
何も喉を通らない状態が続いていたそうですが、
ある日、少量の酒を飲んだら
病状が安定したのだとか…。

横山大観のかつての住処!台東区・横山大観記念館


東京・台東区、不忍池のすぐそばに
横山大観がかつて自宅兼画室として
住んでいた旧宅と庭園があります。

日本美術界へ役立ててほしい、という
大観自身の希望のもと、横山大観記念館として
昭和51年から一般公開されています。

大観が台東区へ移り住んだのは明治41年の頃。
自ら京風の数寄屋造りの住居と庭園をデザインし、
大正8年、現在記念館が位置する場所に
形となって現れました。

そして後の東京大空襲で全焼してしまいますが、
昭和29年、当初とほぼ同じように再建され、
大観は亡くなるまでここに住み続けました。

館内では、居間や居間などが公開され、
庭園を眺めることもできます。

庭園の見え方も、春には桜、秋には紅葉と、
季節によって見え方が変わります。

ビルや人に囲まれた日常から抜け出して、
数寄屋造りという日本伝統の建築から
大観が生前見ていた景色と
同じ景色を眺めてみてはいかがでしょうか。

〈横山大観記念館〉

開館時間:午前10時〜午後4時
• 6/8〜6/30の金・土曜日は午後8時まで
7/6〜7/21の金・土曜日は午後9時まで
• 入館は午後4時30分まで
休館日:月・水・金曜日 夏季、冬季

横山大観記念館にて1/11〜4/1まで開催『梅香る展』

1/11(木)から4/1(日)まで、
新春にぴったりな『梅香る展』が開催されます。

大観の作品も含め、
梅の花にちなんだ作品が紹介されるようです。

旧宅や庭園に加え、
これからやってくる新しい春に向けて
おめでたい絵もぜひ一緒に鑑賞してみてください。

横山大観展に行こう!

冒頭でも述べたように、
今年は横山大観の生誕から150年を迎える
特別な年です。

というわけでここからは、
現在開催中&今年開催予定の
横山大観展をご紹介していきます。

山種美術館『横山大観展 – 東京画壇の精鋭 – 』

東京渋谷区・山種美術館で現在開催中の
『[企画展]横山大観 – 東京画壇の精鋭 – 』

なんと今回の展覧会では、美術館が所蔵する
大観作品が全品展示されるとのこと!

開館以来初の試みだそうです。

創立者の山﨑種二氏は大観と親交があったそうで
その間柄を通じて収集された作品も見られます。

さらにさらに、
小林古径や東山魁夷、前田青邨など、
山﨑氏が親交のあった大観以外の画家の作品も
展示されるので、
さまざまな画家の日本画も一気に鑑賞できます。

会期:2018年1月3日(日)〜2月25日(日)
開館時間:午前10時〜午後5時
※入館は午後4時30分まで
休館日:月曜日
※ただし、2/12(月)は開館
2/13(火)は休館

山種美術館『 〔企画展〕桜 さくら SAKURA 2018 ―美術館でお花見!―』

2018/03/10から開催される企画展、
「〔企画展〕桜 さくら SAKURA 2018 ―美術館でお花見!―』。

山種美術館 Yamatane Museum of Artさんの投稿 2018年2月17日(土)

会期:2018年3月10日(土)〜5月6日(日)
開館時間:午前10時〜午後5時(※入館は午後4時30分まで)
休館日:月曜日
(※但し、4/30(月)、5/1(火)は開館)

東京・京都で巡回展『生誕150年 横山大観展』

「生誕150年 横山大観展」(2018年4月13日(金)~5月27日(日)東京国立近代美術館)の早割ペア券を2,200円(税込)で販売中です。一般当日券2枚より800円もお得!お二人でのご観覧、またはお一人で2回のご使用も可能、…

日本経済新聞社 文化事業部さんの投稿 2017年11月12日(日)

続いてご紹介するのは東京、京都での巡回展

この展覧会は、
展示品約90点すべてが横山大観という
まさに「オール大観」の大回顧展です。

「明治」の大観、「大正」の大観、「昭和」の大観
の3章で構成されており、
三代を生きた大観の世界を一望することができます。

そんな展覧会のみどころのひとつが《生々流転》。
重要文化財でもあるこの水墨画は、
全長40メートルに及ぶ大画巻です。

想像しただけでもすごい迫力ですね…!

大観の技法すべてが集約されているといわれる
この作品。第10回再興日本美術院展に出品され
初めて公に出たわけですが、
展覧会の当日に関東大震災が発生し、
すぐに展覧会は閉会。

もしこの作品が震災に巻き込まれていたら…
と考えると、
今日この大作を目にすることができるのは
一種の奇跡ではないでしょうか。

他にも、《夜桜》《紅葉》をはじめとする代表作や
新出作品や習作などなど、
みどころ満載の展覧会です。

東京国立近代美術館 4/13〜5/27

「生誕150年 横山大観展」(2018年4月13日(金)~5月27日(日)東京国立近代美術館)の早割ペア券を2,200円(税込)で販売中です。一般当日券2枚より800円もお得!お二人でのご観覧、またはお一人で2回のご使用も可能、…

日本経済新聞社 文化事業部さんの投稿 2017年11月12日(日)

まずは東京国立近代美術館にて開催されます。

会期:2018年4月13日(金)〜5月27日(日)
開館時間:午前10時〜午後5時
• 金・土曜日は午後8時まで
• 入館は午後4時30分まで
休館日:月曜日(ただし4月30日は開館)

京都国立近代美術館 6/8〜7/22

京都国立近代美術館で開催する「生誕150年 横山大観展」(6月8日~7月22日)は前期(6/8~7/1)に「夜桜」(大倉集古館蔵)・「紅葉」(足立美術館蔵)を、後期(7/3~7/22)に「群青富士」(静岡県立美術館蔵)を展示します。代表作を…

日本経済新聞社 文化事業部さんの投稿 2018年2月2日(金)

東京での展覧会の後は
京都国立近代美術館にて開催されます。

会期:2018年6月8日(金)〜7月22日(日)
開館時間:午前9時30分〜午後5時
• 6/8〜6/30の金・土曜日は午後8時まで
7/6〜7/21の金・土曜日は午後9時まで
• 入館は午後4時30分まで
休館日:月曜日(ただし7/16は開館、7/17は閉館)

絵画のような庭園と共に横山大観を楽しめる!島根・足立美術館

【NHK『ひるブラ』全国放映のお知らせ 】いよいよ、明日、11月28日(火)の12:20から、下記のテレビ番組で当館が紹介されます。ぜひご覧ください!番組名:『ひるブラ』(全国・NHK総合) 日 時:平成29年11月28日(火…

足立美術館 Adachi Museum of Artさんの投稿 2017年11月26日(日)

島根県安来市にある足立美術館。
ここでは、通年横山大観の作品を展示しています。

創設者の足立全康氏は
「日本庭園は日本の宝だ」と言い、
庭園にかける気持ちは本気そのもの、
生前は、70歳を超えるご高齢にもかかわらず
庭園をかけまわり自ら掃除をしていたそうです。

「すばらしい庭に囲まれた
すばらしい美術館を創ることが夢だった」

日本庭園から四季の美を感じて、
日本画の美も知ってほしいという足立氏の想いから、
その導入口として横山大観の作品を
展示することになったそうです。

足立美術館 Adachi Museum of Artさんの投稿 2017年12月6日(水)

(雨の日の庭園)

「日本庭園と日本画の調和」を
基本方針として掲げているように、
日本の美が凝縮されたような美術館です。

約5万坪(東京ドーム約3.5個分!)に
足立氏のこだわりがいっぱい詰まった日本庭園は、
アメリカの庭園専門雑誌
『The Journal of Japanese Gardening』の
日本庭園ランキングで15年連続1位に選ばれるほど!

美術館館内では、
横山大観をはじめとする他の近代日本画家だけでなく、
現代日本画、陶芸、童画、木彫も展示されています。

これは島根に行ったらぜひ訪れたい!
安来駅から無料シャトルバスが出ているので、
アクセスもしやすいですね。

「耳を澄ませば ささやく日本画」

【春季特別展のご案内】3/1(木)より春季特別展「耳を澄ませば ささやく日本画」が始まります(大展示室にて5/31まで)。本展では、横山大観や竹内栖鳳ら名品の中から、絵の中の音が想像できるような作品を展示いたします。日本画から聞こえてくる音に注目しながらお楽しみください。https://www.adachi-museum.or.jp/archives/exhibition/spring2018

足立美術館 Adachi Museum of Artさんの投稿 2018年2月23日(金)

2018/3/1から始まるこちらの企画展では、
横山大観だけでなく竹内栖鳳など
耳を澄まし音が想像できるような作品たちが
展示される予定です。

会期:2018年3月1日(木)〜5月31日(木)
開館時間:午前9時〜午後5時半(入館は閉館15分前まで)
休館日:4月18日

2018年も注目の横山大観について 〜さいごに〜

いかがでしたか?

これまで横山大観を知っていた方も
大観の作品をいまいち知らなかった方も
そもそも日本画にあまり興味がなかった方も

生誕150周年というまたとないこの機会に
ぜひとも横山大観作品を堪能してみてください。

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imako

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翻訳、ときどき執筆、ときどきアート鑑賞。
のんびり生きています。

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