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画家・ミュシャのスラヴ叙事詩 ~ 彼が生きた人生 ~ Alfons Maria mucha

ミュシャ

 

【スラヴ叙事詩】人々を支える物語

「あなたはあなたでいることに自信がありますか?」
「自信があるとすればそれはなぜですか?」

こう問われたら皆さんはどう答えますか。
あまり露骨にそんな問いに
ぶつかることも少ないかもしれませんが、
身の回りの大小の問題をずっと突き詰めていくと
最後結局そういうことが問題の根底にある、
という事態は少なくないのではないでしょうか。

人の自信の根拠のひとつは過去の記憶かもしれません。

たとえば親に深く深く愛された記憶、
そうしたものが大人になった自分自身の
今日の命を支えている。そうは考えませんか。
大きな愛情を一身にうけて幸せな家庭に育てば
やがて揺るぎない心の安定を手にすることもあるでしょう。

しかし私たちの記憶とは必ずしも正確ではなく、
どこかモヤモヤしていて事実よりも
いくぶん美化されていたりもします。

だから記憶はひとつの作られた物語だと言えるのかもしれません。
さまざまな思い出、
あふれ出しそうなたくさんの記憶があっていまの私が存在する。
自信を持って今日を生きられる。

物語が心を支えます。
そして支えるのはひとりの人間だけではないかもしれません。
人々の集団を支える物語、
それは本当にいろんなかたちで存在します。
そして人と人の絆を強く結ぶために
物語が必要になることもあります。

「絆のための物語」、
これが存在しないとき人は不安になります。
自分が自分であることの確信を
アイデンティティー(自己同一性)と呼びます。
今回は物語によるアイデンティティーの話をします。

 

社内でズバ抜けて優秀な先輩がたまたま不在のときに、
時間がないところであなたが仕事をお願いされ、
苦労しながらも何とかやり遂げたら
それが上司にも取引先にも想像以上に高く評価されます。

あなたはたちまち社内外で「仕事ができる人」
としてスターのような扱いを受けるようになりました。

そんな夢のような話、
現実に起こったら大変でもありますけど正直うれしさも大きいですよね。
アルフォンス・ミュシャという人は19世紀末のヨーロッパ美術界に
「アール・ヌーヴォー」という新しいブームを迎える夜明けの時代にあって
そんなふうにスターダムに躍り出た人でした。

当時パリで国民的女優だったサラ・ベルナールの舞台のポスターを
引き受けたことでミュシャは
時代の寵児となって大きな名声を得ることになったのです。

美術の世界の新たな動きアール・ヌーヴォーはフランス語で
そのまま「新しい芸術」の意味ですが、
主に19世紀末から20世紀初頭にかけて、
花や植物といった有機的なモチーフや自由曲線を用いた
装飾性の高い作品を多く生み出しました。

この大きなムーブメントは平面のみならず
鉄やガラスといった新素材へも展開する新しい潮流だったのです。

ミュシャ

版権 : Iakov Filimonov

【ミュシャの心との距離・ポスターという商品】

アルフォンス・ミュシャは
アール・ヌーヴォーの代表的な作家と言われています。
今も人気が高い作家ですから、
もしかしたら彼の作品をどこかで目にしたことがあるかもしれません。

作家と言いましたが、
パリで彼が成功したときその肩書きはグラフィックデザイナーでした。
ですから彼が手がけたものは作品でもありつつ
ポスターという商品でもあったのです。

商品は消費者に評価されなければいけない、
それはこの時代でも変わりません。
そしてミュシャが生み出した商品の多くは
今まさに私たちが生きる現代日本でも
反響を呼ぶある特徴をもった手法でした。

それは「擬人化」として知られています。
たとえば昔の日本海軍の艦船を美少女として
擬人化して商品展開する、しかもこの擬人化の手法は
あらゆる方面に広がっていて、ついには三国志に登場する
武将やスマートフォンのアプリまでもが擬人化されます。

ただこうしたことは実は美術の世界では古くから行われていました。
ですからミュシャが特に新しいことをしたわけではありません。
ただアール・ヌーヴォーという美術の潮流と
うまくマッチさせたことでブレイクしたのです。

彼はたとえば春夏秋冬といった季節、宝石や天体、
詩や舞踏それに絵画や音楽といった
「芸術」そのものさえも麗しい女性の姿で描きました。

アール・ヌーヴォーとはその時代まさに
「新しい(nouveau)」芸術の波でした。
これは時代の大きな工業化によって氾濫するようになった
粗悪なデザインを、もう一度、創造性豊かで
洗練されたものに置き換えていこうとする試みであったのです。

ミュシャ

実は筆者も普段はデザインの仕事をしているので
理解できることなのですが、デザインは発注者の意図を
最大限効果的に表現する手段であって、
デザイナー自身の考えとか想いというのは
多少あっても良いものの、それは脇役だったり
あまり目立ってはいけないとされています。

たとえばニュースを読み上げるアナウンサーは、
あくまでニュースを分かりやすく正確に伝えるのが仕事であり、
アナウンサー自身の意見や考えは
ニュースの中では話しません。それに似ています。

そこが「デザイン」という仕事と「絵画」などの
いわゆるファインアートと呼ばれるものとの違いです。

 

ともあれミュシャは彼のキャリアの成功を収める過程で
デザインという手法によって注目されたのです。
それはミュシャ個人の人間性や思想とは一定の距離がありました。
つまりデザインは仕事であって自分の血肉を分けた作品と呼ぶには
少し違和感があったのではないか…と考えるのです。

とはいえデザインを仕事とする人間にもいろいろな背景があり、
それまで個人的に感じてきたこと考えてきたことの蓄積があります。
また時代に対する態度というものも持ち合わせ、
デザイナーというよりもいつか表現者として
制作したいという願いを持ったとして
これはひとつも不思議なことではありません。

ここは筆者の推測ですが、
ミュシャはパリでの成功という実績を踏まえ、
しかし仕事に忙殺されるだけの生きかたに
疑問を感じていたのではないでしょうか。

人生という限られた時間の中で
「自分自身が本当に為すべきこととは何か」に
思いを致していたとして、
それは自然な流れであっただろうと考えます。

ミュシャ

版権 : Vladimir Zhuravlev

【本当の私と本当の作品】

アイデンティティークライシス(identity crisis)
という言葉を知っていますか?

自分は何者なのか」
「自分の役割とは何だろうか」
「自分は社会の役に立っているのだろうか」
…そうした悩みにぶつかり、自分の心が激しく揺さぶられる。
平たく言うと「私がここにいても良い理由」
…そうしたものを失うあるいは失いそうになる苦しい事態のことです。

こうした危機は自分自身という
「個人の次元」で起こることもありますし、
大小さまざまの「集団の次元」で起こることもあります。

危機が個人の次元であれば
「私がここにいる意味を問うこと」、
これに対する回答の探求です。
これは美術のみならず文芸一般において大きなテーマのひとつです。

しかしこれが個人以上の集団の次元になると、
政治や宗教、歴史といった要素を巻き込みながら
複雑で危険をはらむものとなりがちです。

ミュシャの後半生、
20世紀初頭は世界中が戦争へと転がり落ちてゆく時代でした。
国と国が争うとき、
お互いに国家や民族のとしてのアイデンティティー、
つまり存在理由が脅かされる事態へと向かいます。

国家の、民族のアイデンティティークライシスです。

そのなかでも強い国あるいは
強い民族はその存在に自信をもって増長し、
周辺へ侵略の手を伸ばすことになります。

ミュシャはチェコ生まれです。
チェコという国は小さな国です。
チェコはこれまでドイツやオーストリアといった
周辺の強大な国におびやかされ、
また踏みつけられてきた歴史がありました。

またチェコを含むヨーロッパの中ほどから東にかけて、
いくつかの国に渡って居住する民族がスラブ人と呼ばれる人々です。

ミュシャ

ミュシャはチェコに生まれ、
当時の文化の中心地だったパリで成功をおさめました。
しかし仕事に追われるだけの暮らしに彼は疲れ果ててしまいます。
そんな中、自分の生まれた国に目を向ければ
戦争の暗い波に飲み込まれていく故郷の姿がありました。

そしてチェコの未来に目を向けたとき、
あるひとつの考えがミュシャの頭に浮かんだのではないでしょうか。

戦争の影がちらつくこの時代に、
われわれスラヴ人の心を支える作品が必要である…と。
故国の人々に自信を与える、
アイデンティティーを支える拠りどころが不可欠である…と。

ミュシャはこの課題に、
ある大作をもって答えようとしました。
それがスラヴ叙事詩です。

スラヴ叙事詩は最大で8mにもなる大作を含む
20点の作品たちです。

チェコを中心として
いくつかの国にまたがって暮らしているスラブ人が
これまでどのような歴史をたどってきたのか、
どんな苦難に出会いそしてそれを乗り越えてきたのか、
そうしたテーマの絵が描かれています。

そして多くの苦しみを克服してきた私たちにはきっと
希望に満ちた未来が待ち受けている、
20点の作品はそうしたスラブ人の存在理由を支えようとする
ストーリーを語りかけてきます。

チェコのみならず、
主にヨーロッパ東部に起こった
歴史的に大きな出来事をテーマとしながら、
スラブ人全体としての物語を絵画によって
構想した内容になっています。

もし作品にふれる機会があるなら
20点を漫然と眺めるのではなく、
一つひとつの作品の歴史的な背景をあらかじめ勉強しておくと、
その事実をミュシャがどのように描いたか、
その意図は何であるか…というところまで見通せるものと思います。

またミュシャはアール・ヌーヴォーの潮流に
しっかりマッチした作風でしたから、
その領域をデザインから絵画に移してもタッチこそ違っても、
やはり優美で幻想的な世界を描きます。
ですから中世ヨーロッパを軸にした
ある民族の壮大な物語群のイメージとして、
またそれを描いたイラストレーションの連作としても
楽しめるのではないでしょうか。

ミュシャ

【チェコ・プラハ 歴史という悲しい叙事詩】

話をアイデンティティークライシスに戻します。
スラブ人のアイデンティティークライシスの救済、
このスラヴ叙事詩にはそういう役割がある。私はそう考えます。

こうした救済は他の民族や国家では
よく「神話」というかたちで登場するものです。
スラブ人にはギリシヤ神話や北欧神話、
日本神話といった民族の生まれを語るストーリーがありませんでした。

「わたしたちはこのような歴史を持った国、民族の末裔である」、
そういう物語を大切にすることで
国や民族としての存在理由を強いものにする。
神話にはそうした機能があり、
そういう思惑が生み出したものという側面があります。

ですがこれは確かに必要なものではあるものの、
諸刃の剣とも言えます。

もしミュシャの生まれたチェコという国が
大きくまた強い国であったら、
スラヴ叙事詩には違った表現があり得たでしょう。

個人の次元でアイデンティティークライシスの救済がもたらすものは、
あくまで個人的な安息です。
これが集団になった時、その救済の物語である神話が
背骨となって他の国や民族などと大小の摩擦を生みます。

物語が生む戦争の最も分かりやすい例が宗教です。
物語によって語られ、それによって信じられた神の違いによって殺し合う。
神でなくこれが政治的な主義や主張であっても
事態はほぼ同じと言えます。

ミュシャ

他人と他人たちが住む国やグループを、
自分たちの神話に裏付けられた存在理由ゆえに攻撃する。
そういう出来事は悲しいとしか言いようがありません。

スラヴ叙事詩が描くものは抑圧され続けてきた
スラブ民族の苦しい歴史ですが、
それはまたそうして物語の力で心を束ねないと
生きてはいけない人間の弱い性質をあらわしているとも言えます。

この作品には歴史上の偉人たちも登場しますが、
等身大の庶民の姿も積極的に描かれています。
なぜでしょうか。ミュシャはやはり先に呼べたような
他者を否定し征服することで
自らの存在理由を確認しようとする人間の悲しい性(さが)に
目を向けていたからではないでしょうか。

戦いが何も生まないこと。
これはミュシャが伝えたかったことの
一つのような気がしてなりません。

戦争に疲れ果て、戦争で愛する人たちを失った
ごく普通の人々にフォーカスすることをミュシャは忘れませんでした。
歴史の主役は彼らであり、
作品を前にわれわれは彼らの悲しみに学ぶべきなのかもしれません。

争わずの共存することの叡智を
わたしたちは手に入れたでしょうか。
遠くない未来に手に入れることはできるでしょうか。

国立新美術館にてスラヴ叙事詩などミュシャ展 」好評 開催中!

現在、東京 六本木にある国立新美術館
《6月5日(月)まで》ミュシャ展が開催されています。
混雑状況などは随時、国立新美術館のtwitterアカウントから
確認することができ便利です。
死ぬまでに一度はチェコへ飛び立ち間近で見てみたかった作品たちが
この目で体感できる、とても貴重なチャンスです。

なかでも目玉となるスラヴ叙事詩
ミュシャ渾身の大作を前に人間と歴史の関わりについて、
ぜひ考えてみてください。

そしてあの「耳切り事件」でも有名な画家・ゴッホについて
詳しく紐解いたこちらの記事も合わせてご覧下さい。
【 耳切り事件】激しい感情のゴッホが見ていた優しい光の世界

 

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レイン

レイン

若いころは美術教育を真面目に学ばずに哲学や文学に溺れていました。今はグラフィックデザイナーとして糊口をしのぎながら頭に浮かんだことを書いています。