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【アートが分からない】芸術って本当に価値があるの?という疑問がある方へ

 2017/12/22 アート 芸術・アート
この記事は約 15 分で読めます。
【アートが分からない】芸術って本当に価値があるの?という疑問がある方へ

(アイコン画像/版権 : Benoit Daoust

芸術って本当に価値があるの?

アートとは一体なんだろう。

そんなシンプルな疑問に
答えていただきました。

【芸術の価値はわからないもの?】

「芸術」

この言葉から受ける印象は
どんなものですか。

知性的でしかし感受性が鋭く、
当然それは創造的で、
どこか無邪気なところもある…

そんな印象ではありませんか。

ここでは芸術が示す意味を、
主に美術を中心とした
創造的な仕事と位置づけ
「アート(art)」と呼びます。

以下の文章は
筆者の個人的な見解であり、
正しいか正しくないかの判断は
読者の皆さんに委ねます。

もっとも筆者自身、
あまり正しさにこだわる
理由がありません。

筆者の意見に
違和感や反感をおぼえ、

そのことで読者のみなさん
が逆にこれまでよりもアートに対して
もっと深い眼差しを向けてくれたなら、
むしろ喜ばしいことです。

「芸術の価値」なんて
大げさな表現を聞くと
もう知らぬ間に眉間にシワを
寄せてしまいますね。

結論から言いますと、

価値というものは
わたしたち人間同士が
勝手に決めたものでしかないので、

価値の話それ自体がもう
足元というか土台がいつも
グラグラなのです。

価値という価値はいずれにせよ
「物差し」のひとつです。

それを使うと物ごとがどう見えるか、
使わないと世界がどう変わるか?

アートに限った話をすれば
そういう事態を上手に使って
楽しめば良いのではないだろうか…

というのが筆者の意見です。

だからアートを鑑賞することは
「映画鑑賞と同じ」
と考えてみましょう。

さして高尚でもなければ
難解でもない。

もちろん高尚で難解なスタイルを
取るものもありますが、

それはアートの全体ではない、
一部です。

それも物差しひとつ。

たとえば街角の広告や
インターネットで見かける
アート関連の告知がいわば
映画の予告篇です。

予告篇で期待したのに
実際に観てガッカリすることも
あるでしょう。

逆に
時間つぶしのつもりで入った展覧会が
人生変えることも
あるかもしれません。

アートも映画も基本的に
「大いに楽しめて少し考えさせられる」
くらいでちょうどいいのです。

興味が先、知識があと。

それで良いのではないでしょうか。

予備知識があったほうが
より深く楽しめることは
確かです。

ただ知識を得ようと学ぶことが
苦痛になってアートから
足が遠のいてしまうのでは

本末転倒。

美術館の企画展などに
行ったことがある人なら
分かるかもしれませんが、

展示の入り口のところに
必ずと言っていいほど
「ごあいさつ」みたいな掲示があります。

そこにはこの展覧会開催に至った
経緯であるとか取り上げる美術作家
あるいは作家たちの略歴や業績、

そういった
イントロダクションなどが
記されているはずです。

何の準備もなしに
作品の前に立つことに抵抗があるなら
このイントロダクションを読んでください。

そこにはテーマとする作家、
あるいは作品を陳列し
それらを結びつけるコンセプト、
そうしたことが記してあるはずです。

これをざっと読んで、
たったいま身につけた知識をもって
作品を鑑賞するだけでも
だいぶ違います。

展覧会は映画と同じですから、
せっかく足を運んでお金を払ったのに
作品が「面白くない」。

そういう感想を持たざるを得ない、
そういうこともあるでしょう。

退屈だったのは残念ではありますが
「つまらなかった」
「よく分からなかった」
そういう感想を持つことを
恐れないでください。

ただしその感想や印象が
作品と作家を否定することに
なってはいけません。

アートは自由であることが
前提のひとつです。

気に入らないことが
正義にはなり得ないのです。

美しさへの好みは
それ以上でもそれ以下でもなく
正義とは関係がないのですから。

【そもそも作家と作品って?】

アートを鑑賞することは
「映画鑑賞と同じ」
と言いました。

しかし
作品と向き合うときの作法は
全てが同じ…
というわけではありません。

ではアートが目の前にあるときの
「見かた」や「考えかた」とは
どういったものでしょうか。

アートは人間が作り出すものです。

機械が制作するのでもなければ
神さまが一瞬で創造するもの
でもありません。

生きた人間が自らの手で作るのです。

だから作品には
作り手、作家の人間性や考えかた、
時代が求めるものといった
限られた条件のなかで生み出されます。

「見かた」や「考えかた」を知る…

とは大雑把に言うと
「作家自身の境遇を追体験する」
ということかもしれません。

ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
という気難しくて不遇な
男の画家がいました。

孤独に耐えられず
画家の友だちを作ろうとしますが
うまくいきません。

絶望して自殺未遂事件を起こし、
心を病みます。

【 耳切り事件】激しい感情のゴッホが見ていた優しい光の世界

ゴッホ、イタいですね。

イタいだけでなく
若干危険な人かもしれませんね。

心が追い詰められ、
精神状態は絶不調のどん底で、
ともすると命さえ危ういとき、

絵画の才能は
こんな作品を描かしめるのだ…

という視点でわたしたちはゴ
ッホの作品に臨みます。

作家には目の前の風景が
こんな風にうつる。

あるいはこのような姿で
自分の目に迫ってくる、
この世界とは何なのか?…

そういう問いを投げかけて
来るようにも見えます。

アートと向き合う際に
ひとつ大切なことは、
アートは基本的に
問題提起であるということです。

作品は鑑賞者にさまざまな
問いを突きつけてくるのです。

そしてそこには
答えがないことが多いです。

答えは鑑賞するあなたが
決めてください…

というスタンスです。

人はなぜ孤独なのだろうか?

わたしたちの前に立ち現れる
この世界の意味は?

生と死はなぜこうも
不条理なのだろう?

美しい世界、
美しくない世界、
神は存在するのか?

言葉にすると陳腐ですが、
アートという言葉ではない方法で、
言葉ではないチャンネルで
見る人の心に切り込んできます。

アートは問いかけます。

しかも問題を
投げっぱなしなのです。

この逆がデザインになります。

デザインは解答を示します。
デザインが訴えるものは

「この問題に関して、
こういった答えを用意しました」

という宣言です。

アートとデザインはこのように
似て非なるものなのですね。

時おり「□□□□デザイン展」
という展覧会もありますから、

デザイン展には
問題とはっきり示されたデザイナーによる
「答え」を探しに行きましょう。

【自由ではないアート】

自由なことが
アートにとって大切…

先にそう記しましたが
正確ではありませんでした。

自由である、
自由でありたいとはつまり

現在ないしは過去
何かに縛られていたことの
証明でもあります。

自由は
「◯◯◯からの自由」
というかたちでしか
成立しませんから。

作家は時代に縛られ、
育ってきた環境に縛られ、

もって生まれた才能であるとか
考えかたや感じかたの傾向
といったものに大きく左右されます。

作り手が
何に縛られているかを知ることは
作品理解の大きなヒントに
なるでしょう。

キリスト教美術と呼ばれるものは
間違いなくキリスト教の教義や
伝統に縛られています。

その縛りのなかで
「新しい自由」を探し続けることで
発展してきたと言えます。

映画鑑賞の感覚で
気軽に見に行った展覧会が、

もし少しでもあなたの心に
引っかかったのであれば、

その作品や作家の背景や
人生を調べてみてはいかがでしょうか。

なるほどこの作家は
自由ではなかったな…

という事実を知ると同時に、
彼らが自由でありたいと願い、

また自由な新しさを模索していた
大きな情熱を受け止めることに
なるはずです。

これはあくまで
筆者の考えなのですが

「◯◯◯からの自由」とは
アートを生み出す者にとって、
多く「現実世界からの自由」を
意味していたのではないでしょうか。

作家は想像力を駆使して
現実から飛び出す自由を夢見ます。

自由はときに反撃や逃亡といった
スタイルをとることもあるでしょう。

「こうであって欲しかった世界」や、
そうでなければ
「このように見える世界を描き出し、暴く」
という行動に出ます。

こんな風に
自由を願わずにはいられない
苦しい現実の世界と、

そこに横たわる数多くの問題を
みんなに見て欲しい、知って欲しい、
理解して欲しい…

そういう願いが
強い衝動であらわれる。

作家の内面は察するに
そうした状態なのだと考えます。

アート作品は問いかけます。

そう簡単には答えの出ない
さまざまな問いをぶつけてきます。

しかし答える人間がいなくては
問いの存在に意味はありません。

答える人間とは誰でしょうか。

それは展覧会に足を運び、

作品の前に立つあなたです。

【鑑賞する感性を大切に】

“平凡な人間には備わっていないような
特別な才能を駆使して創作されたアート”

そんな風に見ると
気後れしてしまいそうな
気分にもなります。

それは作品の迫力でもあるのですが、
しかし考えてみてください。

誰にも見られることのない作品に
存在する意義はあるのでしょうか。

作り手のごく個人的な
独白としての作品、

そういうものも
存在するかもしれません。

展覧会でいま目の前にある作品は
あなたの目を通じて
また感じてもらうために
そこに在ると言えます。

見て感じて評価する人間は、
作り出す人間のといわば
「対(つい)」の関係となって
あるいは「パートナー」となって
作品の完成に貢献するのではないでしょうか。

こうして鑑賞者は
制作者と同じ地平に立ちます。

両者は作品を通じて
作り手による問いかけと、

それによって引き起こされる
鑑賞者の感動(もしかしたら退屈や反発)によって
時間と空間を超えて
作品を共有するのではないでしょうか。

冒頭に芸術とは
知性的でしかし感受性が鋭く、
当然それは創造的で、

どこか無邪気なところもあるイメージ…
という意味のことを述べました。

知性も感受性も
想像力にその源泉があります。

作品が生まれるに至った作り手の
知性と感受性を作品の前で
探ってみてください。

共感できるかどうか。

できなくても良いのです。

自分自身が感じた印象を
素直に受けとってください。

鑑賞者としてそのアートが
好きになれるか、好きになれないか。

なぜ「好き/好きではない」のか。

その問いは自分自身に突きつけられ、
それによって新しい自分自身が
見つけられるかもしれません。

アートの前で作品を目の前に
自分自身を感じてみましょう。

きっとさまざまな感動が
湧き上がってくるはずです。

そうした強い心の動きに
果たして価値があるのかないのか。

芸術の価値を問うとは
そういう意味になるのでは
ないでしょうか。

【アート初心者さんからのQ&A】

・インスタレーションアート

Q. 「インスタレーション作家の作品を見るとき、おしゃれだな、かわいいな
かっこいいなといった目に映る景色でしか楽しめていません。
作品の意図を汲みたいのですがどんな視点で鑑賞すればいいのでしょうか。」

作品を肯定的に見られるだけで
まずは問題ないのではないでしょうか。

「おしゃれ、かわいい、かっこいい」
と感じることができて、

楽しい時間を過ごせたのなら
その作品との出会いには意味があります。

そしてもし
もっと作品を好きになれそうなら、
そこから作品の意図へ興味を持つでしょう。

まず作品への好感や驚きがあり、
意図を知りたい!…という思いが芽ばえる。
そういった順番で構わないのでしょうか。

そこから作家の一貫したテーマを知り、
テーマと実際の作品との関係を
自身の目で確かめ、

作家の表現の方法を
自分なりに考えてみましょう。

作家のテーマや問題意識といったものは
調べればわりあいすぐに知ることができます。

展覧会の入り口にある「ごあいさつ」などと
銘打った展覧会紹介のような情報。

あるいは展覧会や作品の
カタログ(図録)のプロローグ。

作家本人が出演するような
ギャラリートークといった場面でも
知ることはできます。

アートと向き合うときに
「なんとなく良い」といったような
「直感」だけでは危険ですし、

鑑賞者すべてにその直感の正しさを
求めるのは無理があります。

先入観といったところまで
凝り固まらない、ごく軽い気持ちで

作家と作品の予習復習をして
知識を手に入れてください。
誰も点数はつけません。

・草間彌生さんの価値

Q.「数十年前までほぼ無名だった草間彌生さんの絵画が
オークションで高値で落札されていますが、どうしてそんなに高いのでしょうか。
アートの価値は誰が決めていのでしょうか?」

アート作品の価値を決めるのは
それを欲する人間です。

なぜその作家の作品が欲しいのか、

その動機が作品と作家に対する
敬意や知的な意欲なのか、
そうではない別のものなのかは

その価値を決める
人間たちにしか分かりません。

筆者個人の意見ですが、
普通なら人が至り得ない見い出し得ない
「真理や真実」に似た何か…を作品に対し
感じ取ったときに、

人はアートに価値を
見出すのではないでしょうか。

ただ真理や真実は人によって
捉えかたがまちまちで、
唯一のものにはなりません。

だから万人が価値を認めるアート
というのは本来は難しいように感じます。

しかし価値があってもなくても
アートはアートであり、

それは「かえがえのない命」や
「大切な思い出」だとかに
値段をつけることに似ていて、

釈然としない気持ちが残るものです。

本稿で
「価値観とはひとつの物差しにすぎない」
という意味のことを述べましたが、

アートの物差しとお金の物差しは
やや相性が悪いようにも感じます。

ですから私自身はアートの価値とは

「作品に意味を感じる人間たちが決める、
あってないようなもの」と考えます。

・コンセプチュアルアート

Q.「コンセプチュアル・アートというものがありますが、
適当にボールペンで書いた絵もコンセプトされ説明できれば
コンセプチュアル・アート作品と呼べるのでしょうか?」

作品の説明と制作に対する姿勢が
納得できるものであれば、
アートと認めても良いのではないかと考えます。

アートであるからどのくらい価値があるか?…

というのはまた別の話ですので、
誰かに理解されるかどうかはさておいて、

コンセプチュアル・アートを
名乗ることは自由ではないでしょうか。

ただアートの真贋を見極める人たちも
決して皆が愚かではありませんから、

「適当に」描かれたことに
必然性がないと判断すれば
評価されないでしょう。

これも私見になりますが、
コンセプチュアル・アートは
しばしば非常に練り上げられた思想の
バックボーンを持っていることが
少なくありません。

適当に…
つまり「考えなしに」手を動かすこととは
対極にある動機です。

・現代アート

Q.現代アートとはなんでしょうか?

先述のコンセプチュアル・アートに顕著ですが、
現代アートのひとつのあり方に
「意味や想像力の遊び、新しいつながり」
を示すということがあると感じます。

また美術界の大きなムーブメントというよりは
作家個人の考えかたから立ち上げた作品も多いので、

作り手の背景から作品を
読み解く比重が高いことも特徴です。

従来の美術作品というと、
たとえば油絵で、立派な額縁におさめられて、

静かな美術館の奥の部屋に
ひっそり収められている作品を
イメージしませんか?

事実あながち間違いではありません。

いっぽうで
現代アートを定義することは
非常に難しいのですが、

こうした先入観の逆を行きつつ、
現代を生きる身のまわりのさまざまなことに
問題意識を向けさせるもの。

そんなふうに見ることも
できるのではないでしょうか。

本稿でも述べましたが、
多くのアート作品は一種の「問題提起」
つまり「問いかけ」です。

作品は答えを持っていません。

現代アートという同時代あるいは
近い時代を生きた作家たちの
視点や問題意識は、

あたなも共感できるものが
多いのではないでしょうか。

・絵心がないわたし…

Q. 「絵心のない人が絵画を楽しむにはどうしたらいいでしょうか?」

ご自身の絵の技術が拙いとしても
絵画は楽しめます。

そこに垣根はありません。

とりわけ先に記した現代アートなどは
意味や想像力の新しい表現であることが多いですから、
いわゆる絵筆から生み出されるものと違い、

絵心の有無によって楽しさが
左右されることはないように感じます。

この「絵心のない人が絵画を楽しむにはどうしたら~」
という質問の意味が、
もし「作品の良さ」が理解できない…という意味であれば、

作品が生まれた背景と
作家の来歴を学んでみましょう。

それでも共感も好感も持てず、
作品の良さが理解できなければ
理解しなくても問題ありません。

映画でも音楽でも
「万人愛される作品」は存在しません。

アートでも同じです。

それでも共感できる作品に会いたい。

そう考えるのでしたら
まず自分の常日頃の興味や
問題意識を自覚するところから
はじめてはいかがでしょうか。

そうして自分の興味や
問題意識と重なる作家がいて、

興味と問題意識をどのように
作品と表現に落とし込んでいったのか。

そういう視点で眺めると
鑑賞の新しい味わいが発見できるかもしれません。

アートの表現には
何かしら意図が隠されています。

それを丁寧に見つけていくだけで
十分に楽しめるものです。

そういう難しい話ではなく単純に
「ミケランジェロの描く筋肉の描き込み凄いな~」
だけでも一向に構わないと思います。

そこから興味や関心が広がれば、
アートをもっと楽しめるはずです。

アートは神が作り出したものではなく、
人が作り出したものです。

恐れることはありません。

アート鑑賞は想像力の可能性を
否定することなく、
作品を生み出すわれわれ「人間」そのものへの
深い思考と経験をもたらすものです。

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レイン

レイン

若いころは美術教育を真面目に学ばずに哲学や文学に溺れていました。今はグラフィックデザイナーとして糊口をしのぎながら頭に浮かんだことを書いています。