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【葛飾北斎展覧会】日本が誇る浮世絵師・北斎の画狂人生と、2大連作「北斎×富士 ~冨嶽三十六景 富嶽百景 揃いぶみ~」の魅力―

葛飾北斎

世界一有名な絵画は?ときかれたら、
あなたはどの絵を思い浮かべますか?
モナリザ、と答える人は多いかもしれませんが、
荒波が立つ海を描いた日本の浮世絵を
思い浮かべる人も、多いのではないでしょうか?

その絵のタイトルは「神奈川沖浪裏」。
描いたのは、浮世絵師・葛飾北斎。
躍動する波、砕け散る波頭の向こうには、
対照的に静かに佇む富士山の姿がチラリ・・・!
今なお斬新さにあふれたこの傑作は、
世界で最も有名な絵の一つ、といっても
間違いないでしょう。

なんとこの絵は、北斎70歳頃の作品。
驚きですね・・・!
1831年、この「神奈川沖浪裏」を含む
「富嶽三十六景」を刊行。
この連作は北斎の名を、不動のものにしました。

自ら「画狂老人」と称し、90歳で没するまで、
驚愕のパワーで躍進し続けた北斎。
いったいどのような人だったのでしょうか?

「富嶽三十六景」とその後の「富嶽百景」が
どのようにして生まれたのか、あわせて
ご紹介しましょう・・・!

国立新美術館にて開催中の
「ジャコメッティ展」については
アルベルト・ジャコメッティの作品意図やその人生
こちらをご覧ください!

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Contents

 天才浮世絵師・葛飾北斎ってどんな人?

北斎といえば・・・
ずば抜けた画力、斬新な構図やテーマ、
約3万点にものぼる膨大な作品数など、

どれをとっても、群を抜いた存在。

間違いなく天才、
といえる浮世絵師です。

90歳で生涯を閉じるまで、画業に没頭。

生涯現役を貫いたことでも、知られています。
さらに、一流のアーティストである一方で、
かなりの変人?!と思わせる逸話も多数・・・!

そんな彼は、いったいどのような人物で、
どんな画業を展開したのでしょうか?

出生~浮世絵師・北斎の誕生

北斎は幼少期から、絵を描くことに
目覚めたようですが、決して恵まれた環境で
育ったわけではありませんでした。

画家の家に生まれたわけでもなく、
芸術が身近にある環境、と
いうわけでもない、

貧しい家庭の出身。

後に、
爆発的な才能を開花させたのは、
まさに天性の技量というべきものでした。

江戸は下町、貧しい家の出身~養子に出される〜

北斎の生まれは江戸時代の後期、1760年。
出身地は江戸・本所。
現在の墨田区の一角にあたる所とされています。

一説によると、
北斎が生まれたのは貧しい農家で、
幼名は時太郎と名づけられました。

程なくして、
幕府の御用鏡師・中島伊勢の養子に。

6歳頃の時太郎はすでに、
絵を描くことが大好きになっていました。

貸本屋の丁稚を経て、彫師の親方に入門

詳細は不明ですが、
家督を実子に譲るかたちで
中島家を出た時太郎は、12歳頃には、
貸本屋の丁稚をしていました。

多くの貸本に触れる中で、
本に描かれた数々の浮世絵、
人々のいきいきとした生活を描いた風俗画
などにも接していたことでしょう。

絵が大好きな時太郎が、
大いに刺激を受けていたことは、
容易に想像できます。

14歳で版木彫りの徒弟として仕事を始めましたが、
その頃すでに、師匠から

「お前は天才じゃ」

とほめられるほど、才能を発揮していました。
ここで培った木版の技術も、後の作品に
生かされたと思われます。

19歳で決意~絵の道へ進む

元々絵を描きたいと望んでいた北斎。
木版の仕事をやめ、
19歳で浮世絵師勝川春章に弟子入り。

この時、
絵の道に進むことを決心します。

浮世絵とは、
江戸時代に流行った役者絵、美人画、風俗画など、
多くは木版で摺られたもので、
今でいう、トレンドをおさえた雑誌のような
役割もあったものかもしれません。

しかし琳派や狩野派など、流派にとらわれず
あらゆる画法の研究に打ち込むあまり、
勝川派の反感をかい、破門に・・・。

以後、
北斎はどこの流派にも属さないことを宣言。

西洋や中国の絵画も研究しながら、
自由な発想で自分の絵を
発展させていったのです。

90歳で没するまで、進化し続けた画家生活

初めて「北斎」という
雅号を使ったのは、39歳の時。

やがて絵師として名は知られるように
なっても、あまり生活は楽ではなかったようです。

長屋に住み、朝から晩まで描いて描き続ける、
そんな暮らしを続けて40代を過ぎ、

50歳を過ぎると弟子が増え、
国中から北斎をたよって、
絵師の卵たちが押し寄せました。

森羅万象を描いた絵手本も出版。

「雨だろうが風だろうが、
わたしにはおよそこの世で
描けぬものはない」

と自負するほど。

さらに、70歳を過ぎた北斎は、
大ヒット作「富嶽三十六景」を生み出すなど、
とどまるところを知らず躍進します。

大いに自負する反面、90歳で迎えた最期もなお、

「あと5年生きられたら、真の画工になれるのに」

と、自分の仕事に満足しきらず、
画業への執念を燃やしていたというから、
驚きです。

あの印象派に多大な影響を及ぼした、天才絵師

19世紀後半、彼の作品をはじめ日本の浮世絵が
海を渡り、海外で話題となり始めていました。

もちろん、天才浮世絵師・北斎の作品は、
中でもいち早く高評価を得て、
さまざまな作家に衝撃を与えました。

当時フランスを中心に起こった
「印象派」の画家たちも、
北斎らの影響を受けた作品を
数多く残しています。

北斎の影響を受けたゴッホなど、著名な西洋の画家たち

印象派の画家で浮世絵のファン、といえば
まずゴッホが有名ですね。

彼は作品の収集だけでなく、
浮世絵の展覧会を開催することもありました。
また油絵で、浮世絵の模写も残しています。

モネも、
北斎をはじめとする浮世絵を多数、
コレクションしていました。浮世絵に触発され、
新しい絵画を切り開いていった一人です。

ドガは、
浮世絵的な構図に魅了され、
面白いほど北斎の構図に倣った絵を、
多数描きました。

印象派ではないですが、
アール・ヌーヴォーのガラス工芸作家、

ガレの作品にも、
北斎の絵柄をあしらったものがあります。

いかに北斎の影響力が大きかったかが
感じ取れます。

米の雑誌「LIFE」選 世界の人物100人の一人にも

1999年、アメリカの雑誌「LIFE」が、

「この1000年で最も重要な業績を残した人物
100人は誰か?」

というアンケートを行いました。

エジソン、ダヴィンチなど、
名だたる偉人に混じって、
日本人として唯一選ばれたのが、

なんと葛飾北斎・・・!

北斎は、
国内でもかなりの評価を得てきましたが、

海外では、
さらに高い評価を受けました。

知れば知るほど興味深い! 北斎人物像に迫る

葛飾北斎

北斎には、奇人伝も多く伝わっています。

かなり変人だったようですが、
色々なエピソードから、
いきいきとした人物像が
浮かび上がってくると同時に、

憎めない、面白い!と
まずます北斎に引き込まれること請け合いです。

奇人変人?! 北斎の仰天エピソード

数々の伝説を持つ北斎ですが、
中でもよく知られているのが、
幾度となく引越しを繰り返した”転居癖”。
まずはそこからご紹介しましょう。

特異な転居癖&改号癖 目まぐるしい変貌人生

北斎は生涯、おもに江戸の市中で引越しを
繰り返しました。

その数、なんと93回

一日に3回、転居したこともあったそうです。

このため、当時の江戸の文化人名簿
「公益緒家人名録」にただ一人、
「居所不定」と記されていました。

そして頻繁に画号を改めることでも、
他の画家とは一線を画していました。

改号の総数は、30回以上といわれています。

人気稼業の浮世絵師にとって、
知れ渡った画号をわざわざ変えるのは、
大変なリスクだったはず。

いったいなぜ、度々改号したのでしょうか?

そんな疑問を解く鍵となるような
象徴的な画号「不染居」を、
北斎は名乗っていた時期がありました。

つまり「居ることに染まらず
という意味です。

日々、「昨日」を捨て、
「明日」を求めながら、

新たな画業の実験・開発に、
生涯を捧げた北斎。

繰り返す引越しや改号は、画業に邁進するため
初心に戻りたい、という思いからだったの
かもしれませんね。

名作の数々は、ゴミ屋敷で描かれた?!

ちなみに「掃除ができなかったから」という理由も
転居の一因だったようです。

掃除する時間も惜しんで、
創作に向かっていたのか、
絵以外のことには、無頓着なのか・・・?!

描き損じの紙屑、
食事後の残飯なども片付けず、
いよいよゴミでいっぱいになった住居を後に、
新しい家を探すのでした。

後世に残る名作は、
いわゆる「ゴミ屋敷」の中で次々と生まれた
ということですね。

やはり、
並の人間が真似しようにもできない
天性を持ち合わせていますよね・・・!

北斎の結婚、子どもたち

北斎の私生活には謎も多いのですが、
長い生涯の中で、2度の結婚をしたようです。

それぞれの妻との間に、
複数の子どもももうけました。

三女のお栄は、
「おんな北斎」と呼ばれた絵師
「葛飾応為」。

北斎に負けず劣らずの変人
だったといわれています。

堤派の絵師・南沢等明と結婚するも、
秀でた画力と変人ぶりのために離縁され、
出戻って北斎とともに暮らしました。

お栄も掃除や家事が苦手だったため、
ゴミ屋敷に拍車をかけていたのかも
しれませんね。

多数の弟子をとり、逸材も輩出

北斎は弟子が多いことでも有名です。
北斎が50歳を過ぎた頃には、国中に名が知れ渡り、
教えを求める大勢の弟子たちが集まりました。

弟子、孫弟子とあわせると、
約200人もの弟子がいたといわれています。

多作であるうえに、弟子も多く、
つくづくエネルギッシュだなと
感じさせてくれます。

絵の教科書・絵手本の制作にも尽力

北斎から学びたい人は全国にいたため、
50代半ばから70歳頃までの北斎は、
特に、絵の教科書ともいえる
「絵手本」の制作に打ち込みました。

北斎の絵手本は眺めるだけでも美しく、
工芸品の図案集としても活用されたほどです。

また、
世界的に人気の高い「北斎漫画」も、
この時期の作品。

庶民の暮らしがいきいきと、
ユーモアたっぷりに描かれた傑作です。

「北斎漫画」は、
「漫画」と付いていますが
ストーリー的な読み物ではなく、
デッサン集に近いかもしれません。

しかし驚くべきことに!

現在のマンガにあるような
ギャグ、コマ割り、擬人化の概念を
すでに備えていました。

マンガの神様・手塚治虫
大きな影響を与えたことでも知られています。

北斎は時代を超えて、
アートやマンガを志す
多くの人々の師匠であり続けているのです。

並外れた躯体・長寿に恵まれた画狂老人

北斎は画才だけでなく、
並外れた体格と長寿に恵まれた人でした。

健康に恵まれ、
スタミナもあったからこそ、
長い人生を通して、
ずっと画業に励むことができたのでしょう。

当時としては大男だった北斎

北斎は身長が180cmあったといわれています。
江戸時代の男性の平均身長は、
155㎝位だったことを考えると、
並外れた大男だったといえます。

今の時代でも180cmあれば、
けっこうな長身ですよね。

そんな大きな身体で巧みに筆を操り、
完璧なまでに、緻密で繊細、美しい絵を
描いていた北斎。

筆者には、
なんだか可愛らしくも感じられます。

傑作のほとんどは、70歳を過ぎて生み出した

若年~中年の作品も
もちろん素晴らしいのですが、
「神奈川沖浪裏」をはじめ、

後年、世に知られた傑作のほとんどは、
晩年に描かれたもので、

特に70代の活躍には
目を見張るものがあります。

もちろん最晩年まで、
新しいテーマを求めながら、
絵手本の刊行などにも精を出し、
常に進歩し続けた北斎。

何か特別な健康法でもあったのでは?と
気になりますが、
お酒や煙草は呑まなかったというだけで、
とにかく画業に明け暮れ、
食生活や衣服にも無頓着だったそうです。

むしろ描くことが、
活力の源になっていたのかもしれませんね!

知っておきたい!「富嶽三十六景」 誕生の背景とその魅力

さて、いよいよ表題の
「富嶽三十六景」に触れていきます。

この美しい錦絵の連作は、
どのようにして
生まれたのでしょうか?

そして、随所に散りばめられた
北斎らしいエッセンスについても、
お伝えしていきたいと思います。

江戸時代の富士信仰とは?

当時の江戸には高い建物も今ほどなく、
どこからも富士が良く見えたといいます。
人は男も女も、老いも若きも富士を見上げ、
富士を拝んで暮らしたのです。

そう、江戸時代には、
富士山とその神霊を信仰する「富士信仰」が、
庶民の間に自然と浸透していました。

この「富士信仰」は、
天保年間の頃ピークに達したと言われています。
北斎が70~74歳頃の時期です。

今も昔もありがたい!日本人に根ざす富士山シンパシー

江戸時代には富士山を崇めることが
一般的なこととして溶け込んでいたわけですが、

現代に至っても、
私たち日本人にとって、
富士山は何か特別な存在ですよね。

「富士山はおめでたいもの」
といった認識があったり、
晴れた日に遠方から眺める景色の先に
富士山が見えたときの高揚感を
抱く方も多いはず。

「日本一の山」と
日本人なら誰もが
誇りにしているであろう富士山。

その山を見つめる多くの人が、
心揺さぶられ共感できる美しさは
きっと今も昔も等しいのではないでしょうか。

北斎が幼少から抱いていた富士山への思い

北斎も、富士を見て育ちました。

幼い頃から、
江戸の町から見える富士山の絵を、
たくさん描いていたそうです。

江戸出版界ではすでに、
1767年に書画人・河村岷雪の
「百富士」が刊行され、

これは幼い北斎の、
身近な富士図のモデルとして存在し、
画想に刺激を受けていたことでしょう。

いつかは自分にしか描けない富士を描いてやろう、
そんな野心を抱いていたことも、
想像に難くありません。

高まる富士山信仰ブームに乗って

「富士信仰」においては、
富士山への直接参拝は
最も霊験あらたかなイベントでした。

富士山をお参りするグループ「富士講」の
活動が大変さかんだったといいます。

また市中の寺社には、
富士山に参拝する代わりに拝める
「富士塚」も多く築かれました。

富士を身近に拝める版画こそが「富嶽三十六景」

しかし交通の便も発達していない時代に、
富士山まで参拝に行くとは、
かなり大掛かりですよね。

そんな折に出版された「富嶽三十六景」は、
お守りを身につけるような
「手元に富士」の発想。

いつでも手にとって眺められる、
私的な「富士塚」として、
登場したのです。

大人気を博した北斎の錦絵・富士図

版画という大量複製手段で出版された
北斎の富士図は、
「富士信仰」が過熱していたご時勢だけに、
たちまち広く庶民の手元にゆきわたり・・・
そして、空前の大ヒットとなりました。

動揺と不安の時代に現れた、
斬新で美しい錦絵の富士は、
どれだけ人々の心を捉え、
安らぎを与えてくれたでしょうか。

手頃な価格で手に入り、
護符としてのありがたさも兼ね備えた
「富嶽三十六景」。

江戸庶民の心をつかむ要素満載の、
まさに時宜にピッタリ合った
好企画だったのです。

「神奈川沖浪裏」を筆頭に、絶妙な構図を展開する46図

「富嶽三十六景」は、
1831年~1833年の足かけ3年をかけて、
刊行されました。

「三十六」と銘打っていますが、
実際には46図あります。

世界的に有名な「神奈川沖浪裏」をはじめ、
46図のいずれも、大胆、斬新な構図で、
見る者を飽きさせません。

世界で最も有名な絵画のひとつ「神奈川沖浪裏」

「富嶽三十六景」の先頭を飾る
「神奈川沖浪裏」は、冒頭でも触れたように
世界で最も有名な絵画のひとつ、
といっても過言ではありません。

これは、
どこから描かれた絵かというと、
現在の横浜市本牧あたりからの眺めであろう、
といわれています。

あやしい雲行きを告げる空に、
たけだけしくせりあがった波。

飛沫を散らしながら、
崩れ落ちる様子が、
見事に描かれた海。

波の向こうには、
泰然とした富士山がのぞく、大胆な構図です。

世界が認める、圧倒的な傑作ですよね・・・!

雄大な赤富士の佇まいも、今なお世界中を魅了

海の青を基調としている「神奈川沖浪裏」に対し、
大きくそびえる富士が赤く染まった
「凱風快晴」も大変有名な作品です。

鰯雲がたなびく清々しい空に、朝焼けの富士。

通称「赤富士」と呼ばれるこの絵は、
縁起の良いムードに満ちていますね。
いかにも開運パワーを秘めていそうです・・・!

ちなみに、「凱風快晴」には、
赤くない藍摺り版があり、これは数が
あまり出回らなかった貴重な珍品でした。

実は36でなく46景ある連作

「富嶽三十六景」は、
先述のように実は全部で46図あります。

なぜでしょうか?

当初、36図で刊行を終える予定で、
タイトルを「富嶽三十六景」として続々刊行。

ところが、
大変好評だったため、
庶民のニーズに応えようと、
タイトルはそのままに続編10図を追加したのです。

そんなわけで46図あるのですが、
この逸話からもかなりの
人気だったことが伺えますね。

思わず笑みを誘われる、細かなポイントも必見です

これから「富嶽三十六景」をご覧になる方、
ぜひみてほしい、と筆者が思うポイントを、
ご紹介させていただきます。

たまらない可愛さ・・・! 表情豊かな人々の様子

「神奈川沖浪裏」には、
荒波の間に3艘の船が描かれており、
船上には、水夫たちの姿も・・・。

必死に船にしがみつき、
時化に耐える表情が健気で、
なんともいえません。

他の絵にも、
山間で敷物を敷いて宴会する人々、
桶職人や、
瓦屋根の上で作業する職人、
大木のそばで遊ぶ旅人、
突風に驚いたり、馬を駆って急ぐ人々

など・・・

楽しそうだったり、
困っていたりと

さまざまな人々の様子が、
いきいきと描かれています。

表情の豊かさ、細かな描写には、
いかにも北斎らしいセンスが
みてとれますね。

どちらも素敵! 近景の大きな富士、チラ見えの富士

「富嶽三十六景」は一枚一枚、
実に多彩な構図で展開されています。

「凱風快晴」のように、
富士をドーンとアップで見据えたものから、

遠方からの、
チラッと見える富士を捉えたものまで、
クローズアップとズームが
巧みに駆使されているのです。

それぞれの絵が描かれた視点も色々で、
浅草、深川、青山、千住、佃島など、
江戸のエリアのほか、

神奈川の三島、茨城の潮来、
遠くは諏訪湖から臨んで描いたものも。

こうした連作を描くにあたって
各地を下見したであろうことを思うと

70歳の北斎が
いかに軽快なフットワークで、
とてつもなくパワフルだったか・・・
改めて感じ入ってしまいます。

富士図連作第2弾「富嶽百景」も刊行

「富嶽三十六景」の大成功を経て1834年、
好評に応えて「富嶽百景」も出版されます。

「富嶽百景」は風景のみならず、
故事・逸話も取り入れ、
墨一色刷りで出版されました。

北斎は「富嶽百景」の全3冊、
102図において、「富嶽三十六景」で
追究した富士山という主題を
さらに発展させます。

「富士」という画題をさらに掘り下げ、
ずば抜けた画力と、斬新な視点をさらに
じっくりと楽しめる作品集となっています。

すみだ北斎美術館で開催!「富嶽三十六景」と「富嶽百景」の展覧会

ご紹介した葛飾北斎の
「富嶽三十六景」と「富嶽百景」を、
間近に鑑賞できる展覧会が、
2017年6月27日(火) ~8月20日(日)、
東京都墨田区にある、
すみだ北斎美術館で開催されます。

【すみだ北斎美術館】
所在地:〒130-0014 東京都墨田区亀沢2丁目7番2号
開館時間:9:30~17:30
(入館は閉館の30分前まで)

休館日:毎週月曜日

☆アクセス

・都営地下鉄大江戸線「両国駅」A3出口より徒歩5分
・JR総武線「両国駅」東口より徒歩9分
・都営バス・墨田区内循環バス「都営両国駅前」より徒歩5分
・墨田区内循環バス「すみだ北斎美術館前(津軽家上屋敷跡)停留所」からすぐ

葛飾北斎

建物としても魅力的な
すみだ北斎美術館へ
ぜひ出かけてみましょう!

「北斎×富士 ~冨嶽三十六景 富嶽百景 揃いぶみ~」

すみだ北斎美術館では、
多様な富士の姿を、
奇抜なほどの構図で美しく描いた、
北斎の富士山2大連作を公開。

展示名は、
「北斎×富士 ~冨嶽三十六景 富嶽百景 揃いぶみ~」。
ぜひ「富士づくし」を堪能してみませんか?

3期に分けた展示(一部展示替えも)

この展覧会は、
Ⅰ~3期の3回に分けて行われます。

なんと、全期を通して、
「冨嶽三十六景」の46図、
富嶽百景の102図、
全作品をみることができます。

会期は、
Ⅰ期が6月27日(火)~7月9日(日)
Ⅱ期が7月11日(火)~7月23日(日)
Ⅲ期が7月25日(火)~8月20日(日)。
各期で一部展示替えを行います。

全作品をみたい人には、
見逃せない機会ですね・・・!

常設展示もあわせて、北斎を堪能してみては・・・?

すみだ北斎美術館は、
郷土が生んだ偉大な芸術家・葛飾北斎を
地域の誇りとして永く顕彰し、
北斎と地域の関わりを分かりやすく解説している
美術館です。

常設展では、
「すみだと北斎」
「習作の時代」
「読本挿絵の時代」
「絵手本の時代」
「錦絵の時代」
「肉筆画の時代」

などに分けて展示を行っています。

アトリエの再現模型もあり、
見所となっています。

北斎の生涯を楽しく辿ってみましょう。

美術館のある墨田区は、北斎ゆかりの地

隅田川の流れと両国駅からほど近い、
閑静な一角に立地するすみだ北斎美術館。

公園として整備されているスペースに
隣接しており、
周辺地域の憩いの場所としても
親しまれています。

同館が面する「北斎通り」は、
北斎の出身地本所割下水があった付近。

北斎が暮らした頃の街並みに
思いを馳せれば、
江戸の空気が感じられるかもしれません。

90年の生涯のほとんどを、墨田区で暮らした北斎

生涯のほとんどを、
現在の墨田区内で転々として過ごした北斎。

93回も引越しを繰り返しても、
この近辺で暮らしていたことは事実なので、
彼にとって、
愛着の深い住み心地抜群の地域だったのでしょう。

美術館周辺には、北斎の足跡がそこかしこに・・・!

美術館の周辺には、
北斎にゆかりの深いスポットが点在します。

美術館に面した「北斎通り」のうち、
亀沢1~4丁目までは、
北斎の絵をあしらった街路灯などを設置しています。

絵を鑑賞しながら、
街歩きを楽しんでみましょう。

両国駅の南側にある
「吉良邸跡・本所松坂町公園」
もゆかりのあるスポット。

北斎が養子に入った家の母親、
つまり御用鏡師・中島伊勢の妻は、
あの忠臣蔵・吉良上野介の家来・小林平八郎の
孫だったそうで、

北斎の曽祖父にあたると、
北斎自身も語っていました。

吉良邸跡は北斎にとって、
親近感のある場所だったことに違いなく、

「新板浮絵忠臣蔵」など、
忠臣蔵をモチーフに
描いたものも残しています。

北斎が愛した墨田区

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墨田区といえば
スカイツリーも人気スポットですが
他にも、
周辺には北斎を偲ばせるスポットが多数。

隅田川にかかる「厩橋」、
墨田区側から隅田川を捉えた「馬尽 駒止石」の
石が残されている「旧安田庭園」など・・・。

絵と関連のあるスポット探しも、
楽しいですよね。

さまざまな発見と楽しさが詰まった、
この墨田区。

両国国技館の相撲博物館や、
江戸東京博物館、
駅のすぐ近くには観光案内所などもあり、
デートでも、友達とでも、一人歩きにも
おすすめの街です。

ぜひ美術館とあわせて、
訪れてみてはいかがでしょうか・・・?

パルコミュージアムで開催!「北斎展」

PARCO ARTさん(@parco_art)がシェアした投稿

池袋パルコ内にある
パルコミュージアムで開催される
「世界が絶賛した浮世絵師北斎展
~冨嶽三十六景・エッフェル塔三十六景の共演~」

国際浮世絵学会常任理事の
中右瑛さんが監修されています。

2017年 6/30日〜7/17日
入場料:一般700円/学生500円

ミュージアムショップには
葛飾北斎の作品をまとめた書籍や
北斎展の開催を記念した限定グッズも
販売されるそうです!

ぜひどちらも足を運んで
楽しんでいただきたいです!

そして葛飾北斎に多大な影響を受けた
ことでも知られるゴッホについては
激しい感情のゴッホが見ていた優しい光の世界
こちらをご覧ください。

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makiko

makiko

芸術系大学出身。アート・恋に夢中だった学生時代、ヒールの高い靴を愛した独身時代を経て、現在はライター、イラストレーターとして活動するアラフォーママ。

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