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【写真家・荒木経惟】センチメンタルな旅 1971-2017- 〜終わらないセンチメンタルな旅〜

荒木経惟
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【死を写す荒木経惟】

思春期や青年期にありがちな
ことかもしれませんが、

筆者はその時期よく
「死とは何か、生とは何か」というような
問いを真剣に考えていました。

その頃に経験した身内の不幸などが
きっかけだったのかもしれませんし、

小さい頃から漠然と
不思議に感じていた問題に
10代後半から20代にかけて
いよいよ本気で取り組みはじめた、

とも言えます。

美術の世界には
死を表現するメディアがあります。

写真は

その最たる表現と言えます。

あえて
ショッキングな断言をしましたが、
今回テーマとする
荒木経惟(あらきのぶよし)氏の表現に
おいてはある程度まで正しいものと考えます。

でも「写真は死を表現する」…
だけではまるで説明が足りませんね。

ここで言われる死とは
生命が失われた状態というより
むしろ失われた時間や
もう戻らない時間を指して

ここではそれを「死」と呼びます。

過ぎた時間は二度と戻りません。
これは至極当たり前のことですが、
だからこそ時間というものは
常に少しずつ死んでいる…

と言うこともできるのでは
ないでしょうか。

本当は少しずつ死んでいるのは
時間ではなく私たち
人間ということになりますが。

こうして「少しずつ死ぬ行為」こそが
生きることの逆説的な本質なのだ…
というのが筆者個人の見解です。

写真、特にアラーキーが生み出す
ある一群の作品は
そうした生死のとらえ方を
強く表現している。

そのように感じます。

あなたは写真を
どういう意味合いで撮影しますか?
楽しい思い出の記録のためでしょうか。

スマートフォンの画面を眺めるのであれ、
プリントされたものを見つめるのであれ、
過去に撮った写真を眺めるとき、
楽しかった想いなどが
再び呼び覚まされると同時に

ふと「1%の寂しさ」のようなものを
感じませんか?

その寂しさは戻らない時間、
いわば死んでしまった時間へ
向けられた寂しさなのでは
ないでしょうか。

写真家ではない
私たちが撮る写真でさえもそうした
「死」、つまり失われた時間を
微かに含んでいるのです。

この時代ですから
誰にでも気軽に写真の撮影ができます。

ところが芸術作品とされる写真には
アーティストによる被写体への新しい視点、

すなわち作品に出会わなければ
気がつくことが難しかったであろう
テーマへの新しい向き合いかたを
提示してくれるという

大きな意味がありるのです。

【エロスと死】

アラーキーこと荒木経惟は
日本の写真家です。

父親の影響でカメラをはじめ、
大学を経て大手広告代理店の電通に
カメラマンとして入社。

やがて独立し写真家として活躍します。

いまや日本の写真界の重鎮
とも言える存在ですので
テレビなどでご存知の方も
いるかもしれません。

また非常に多作で
活動も多岐にわたる人物ですから、
テレビのみならず
コンビニだとか書店で

あなたが手に取った雑誌の
グラビアや写真集がアラーキーの
作品かもしれません。

アラーキー作品の大きなテーマは

女性、人間の顔、
少女、東京の風景、花、など。

まだまだありますが、
パッと思いつくのは
そうしたキーワードになります。

ただそこに一貫しているのは
エロスと死の匂いです。

アラーキーが表現するエロスとは

ただエロスと言っても
単純なものではなく、彼の作品は
「存在することで放たれる不思議な色気」…
いわば被写体の存在感から滲み出す
官能的な生々しさのようなものを捉えます。

被写体は女性に限りません。

これは大写しになった花の写真作品や、
一般の人の顔を画面いっぱいに
写し出した作品などに顕著です。

アラーキーの表現のありようは
本当にさまざまなのですが、
やはり底に流れているのは
そうしたエロスであり死であります。

またそのエロスは
そのエロスの中心となるべき
存在が失われたとき、
いっそう輝きを増すのです。

アラーキーの大きなテーマ

だったのかもしれない、
失われてしまったエロス。

それは彼が早くに亡くしてしまった
妻・陽子さんの存在が
もっとも象徴的と言えるでしょう。

【デビュー作「センチメンタルな旅」】

アラーキーのデビュー作と呼ばれる
写真集に「センチメンタルな旅」
という作品があります。

若きアラーキーと妻である陽子さんとの
新婚旅行をアラーキー自身が
撮影した写真集です。

これは時を経て続編の
写真集「10年目のセンチメンタルな旅」
として続きます。

しかし陽子さんは結婚から19年を経た
1990年の冬に42歳の若さで
病によって亡くなってしまいます。

その彼女の死と前後して
亡くなるまでの様子を記録した
「センチメンタルな旅・冬の旅」
という写真集もまた有名です。

ここには亡くなった妻陽子さんの
棺に納められた遺体を撮影した
写真が含まれています。

この写真は発行当時相当に
物議を醸したそうです。

エロスと死、新婚旅行と妻の
夭折を並べてそれらを語るのは
あまりに単純で短絡的と
言わねばなりません。

比較すべきはその点ではないのです。

本稿の冒頭で記した
「私たちは失われていく時間を生きている」
という現実がこの3冊の写真集に
集約されています。

極端な言いかたをすれば
被写体はもう生前から
エロスの香りとともに
死の匂いも感じさせているのです。

写真はひどく乾燥した
白い光に包まれ、
影は気味が悪いほどに深く、

写し出された人々は妻に限らず
どこかに魔性を宿しつつ
しかも虚ろな表情をしています。

筆者の個人的な感覚になりますが、
一連の写真集の表題に掲げられた
「センチメンタル」という言葉に
託された意味は、私たちの誰もが
持ち得る極めて内的な旅、

つまり自分の内側からとらえた
自身の詩的な記憶が見せる風景を
めぐる旅という意味のように感じます。

ことにデビュー作である
「センチメンタルな旅」は
アラーキー本人も記しているように、

印刷によって灰白色となった
写真たちがかえっていっそう
カラカラに乾いた叙情を
味わい深いものにしています。

それらの白茶けた写真たちは
まさに薄れゆく記憶を必死で
つなぎ止めようとする、

あるいは時間によって写真が
風化するがごとくの表現を
見せているように感じられるのです。

センチメンタル
という文字どおりの感傷、
すなわち感受性が鋭すぎて
心を痛めやすい…
という意味を宿しつつも、

そこにどぎついエロスを充満させて
見える世界を揺さぶり、
死を入れ込むことで鑑賞者の頭の中を
一瞬真っ白にさせてしまう。

そういう作用がこの一連の
アラーキーによる
「旅」作品にはあります。

エロスと強く関係した感受性が
最後は死という空白に集約される…
それはまさに人間の生涯そのものです。

【虚しくも愛しい世界を】

ところで「写真が映し出す”真”」とは
誰もが等しく認める真実なのでしょうか。

「真を写す」とも読める
この写真という言葉、写真という技術。

多くの絵画よりもリアルに見え、
人間の目が写す風景に
もっとも近いとされる
イメージを記録する手段。

ところが
アラーキーはじめ多くのアーティストが
シャッターを切った写真作品を見ていると、
そうした素朴な確信は
簡単に崩れさるように感じます。

これは突き詰めれば
誰が撮った写真も真実たり得ない。

万人が正しく共有できるひとつの現実
というものは存在しない。
そういう結論に辿り着きはしないでしょうか。

ひとつの確固たる現実があって、
そこを基準に誰もが分かりあう。
そういった期待は不可能なのでは
ないでしょうか。

だからこそ表現活動を通じて
人と人のあいだに立ちふさがる
壁を突き破る行為に意味がある。

これこそ表現活動のひとつの
大きな存在理由であろうと考えます。

これもまた完全に
筆者の印象でしかありませんが、
「センチメンタルな旅」に端を発した
亡き妻をめぐる旅で撮られた写真作品には、

画面から彼女の温もりを感じさせつつも
そばにいる彼女はもう生前から遠くに
離れてしまっている。

どこかそういう距離を感じます。

そしてアラーキーの眼差しは
レンズの外へ向かっているようでいて、
いつまでも自分の殻に
閉じこもっているような、

文字通りセンチメンタルな
部分も残しています。

空や雲の写真を撮るとき、
それは涙がこぼれないよう
空を見上げたのであって、
アラーキーの心は泣いているようでもあります。

また彼がシャッターを切る音は
「虚しい」という呟きのようでもあり、
しかしそれは同時に「愛しい」
という意味でもあったりします。

そんなうまく言葉にできない
感情を画面から感じるのです。

【東京都写真美術館にて開催中の展覧会】

荒木経惟

東京都写真美術館にて
2017年9月24日まで
総合開館20周年を記念して

「荒木経惟
センチメンタルな旅 1971– 2017–」
を開催されています。

所在地:〒153-0062
東京都目黒区三田1丁目13−3 恵比寿ガーデンプレイス内

開館時間:10:00~18:00
(木・金曜は20:00まで)
※8月25日(金)まで木・金は
21:00まで開館

※入館は閉館時間の30分前まで
(但し9月18日は開館し、19日は休館)

休館日:毎週月曜日

1960年代のアラーキーと
陽子さんの出会いから90年代の
彼女の死に至るまでのふたりの
心の軌跡を巡ることができます。

写真作品を通じて
被写体がかつて存在したことと、
いまは時間とともに
存在しなくなってしまったこと。

写真が表現するそうした「死」の
表情が見てとれるかもしれません。

またその死の裏側にある被写体への
愛情がより鮮やかに
描き出されるものかどうか、
ぜひ確かめてみてください。

岡本太郎の人生と開催中の展示については
芸術は爆発だ!岡本太郎美術館にて開催中「岡本太郎と遊ぶ」展 (命がけで遊び、生き、芸術を創造する)
こちらをご覧ください!

ピカソとシャガールの絵については
【ピカソの絵、シャガールの絵、言葉を超えた場所】
こちらをご覧ください。

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レイン

レイン

若いころは美術教育を真面目に学ばずに哲学や文学に溺れていました。今はグラフィックデザイナーとして糊口をしのぎながら頭に浮かんだことを書いています。

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